葉隠 / 聞書第二
善事も過ぎると惡い、說法教訓も言ひ過ぎると却つて害になる。
新字:善事も過ぎると悪い、説法教訓も言ひ過ぎると却つて害になる。
書き下し
善事(ぜんじ)も過ぎると悪い、説法教訓(せっぽうきょうくん)も言い過ぎると却(かえ)って害になる。
現代語訳
良い事も度が過ぎればかえって悪くなる。説教や教訓も、あまり言い過ぎると、かえって害になるものだ。
解説
「過ぎたるは及ばざるがごとし」を、教え諭す場面に当てはめた簡潔な一条です。善い行いや正しい教訓も、度を越せばかえって害になると説きます。とりわけ説教や訓戒は、いくら内容が正しくても、繰り返し言い過ぎれば相手は嫌気がさし、聞く耳を持たなくなる。善意や正論であればあるほど、量とタイミングの節度が問われるという鋭い指摘です。現代でも、部下や子どもへの指導、助言のしすぎが逆効果になる場面は数多くあります。正しさそのものより「どれだけ、いつ言うか」という加減が伝わるかどうかを左右する、という教えは、指導や助言に携わる誰にとっても示唆に富みます。
この章句が説くこと
葉隠過ぎたるは及ばざる節度説教教訓言い過ぎ
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