尚書 / 君陳
凡人未見聖,若不克見,既見聖,亦不克由聖
書き下し
凡そ人、未だ聖を見ざれば、克く見ざるが若く、既に聖を見れば、亦た聖に由ること克わず。
現代語訳
おおよそ人は、優れた人にまだ会わないうちは会えないことを嘆くが、実際に会ってみると、その人に従うことができない。
解説
会う前は、あの人に会えたらと憧れ、会えないことを嘆く。ところが実際に会い、その言葉を耳にしても、いざとなると素直に従えないのが人の常だという。優れた助言者や尊敬する先輩を前にしても、いざ自分の生活や仕事に取り入れる段になると腰が引けることは誰にでもある。この矛盾を自覚しているだけでも、教えを行動に移す一歩は変わってくる。なお、本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。

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憧憬実践人の常
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