論語 / 先進篇
子曰:「論篤是與,君子者乎?色莊者乎?」
新字:子曰:「論篤是与,君子者乎?色荘者乎?」
書き下し
子曰く、論の篤きに是れ与せば、君子者か、色荘者か。
現代語訳
先生がおっしゃった。「議論が真剣であるというだけで賛成してよいものか。その人は本当の君子なのか、それとも見た目を厳めしく取り繕っているだけの者なのか。」
解説
熱心に語る人を、それだけで信用してよいのかという問いである。議論の篤さは、内容の正しさとも人格の確かさとも別のものだ。ところが人は、熱意を根拠として受け取ってしまう。強く主張する人が正しく見え、静かに話す人の意見が軽く扱われる。孔子はその錯覚を名指しした。しかも二つの可能性を並べている。本物の君子かもしれないし、見た目を厳めしくしているだけかもしれない。区別がつかない、という認識が正直である。区別する方法はここには書かれていない。おそらく、その場では分からないというのが答えだろう。だとすれば、熱心さを判断材料から外すしかない。何を言ったかで判断し、どう言ったかは判断に含めない。会議の質は、この一点で変わる。
この章句が説くこと
熱意判断見せかけ議論錯覚
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