管子 / 事語
桓公又問管子曰:「佚田謂寡人曰:『善者用非其有,使非其人。何不因諸侯權以制天下?』」管子對曰:「佚田之言非也。彼善為國者,壤辟舉則民留處,倉廩實則知禮節。且無委致圍,城脆致衝。夫不定内,不可以持天下。佚田之言非也。」管子曰:「歲藏一,十年而十也。嵗藏二,五年而十也。榖十而守五,綈素滿之,五在上。故視嵗而藏,縣時積歲,國有十年之蓄。富勝貧,勇勝怯,智勝愚,微勝不微,有義勝無義,練士勝敺衆,凡十勝者盡有之。故發如風雨,動如雷霆,獨出獨入,莫之能禁止,不待權輿。故佚田之言非也。」桓公曰:「善。」
新字:桓公又問管子曰:「佚田謂寡人曰:『善者用非其有,使非其人。何不因諸侯権以制天下?』」管子対曰:「佚田之言非也。彼善為国者,壤辟舉則民留処,倉廩実則知礼節。且無委致囲,城脆致衝。夫不定内,不可以持天下。佚田之言非也。」管子曰:「歳蔵一,十年而十也。歳蔵二,五年而十也。穀十而守五,綈素満之,五在上。故視歳而蔵,県時積歳,国有十年之蓄。富勝貧,勇勝怯,智勝愚,微勝不微,有義勝無義,練士勝敺衆,凡十勝者尽有之。故発如風雨,動如雷霆,独出独入,莫之能禁止,不待権輿。故佚田之言非也。」桓公曰:「善。」
書き下し
桓公又た管子に問いて曰く、「佚田寡人に謂いて曰く、『善き者は其の有に非ざるを用い、其の人に非ざるを使う。何ぞ諸侯の權に因りて以て天下を制せざる』と」と。管子對えて曰く、「佚田の言は非なり。彼の善く國を為むる者は、壤辟け舉がれば則ち民留まり處り、倉廩實つれば則ち禮節を知る。且つ委無ければ圍を致し、城脆ければ衝を致す。夫れ内を定めざれば、以て天下を持すべからず。佚田の言は非なり」と。管子曰く、「歳に一を藏せば、十年にして十なり。歳に二を藏せば、五年にして十なり。榖十にして五を守り、綈素之に滿つれば、五は上に在り。故に歳を視て藏し、時を縣け歳を積めば、國に十年の蓄え有り。富は貧に勝ち、勇は怯に勝ち、智は愚に勝ち、微は不微に勝ち、義有るは義無きに勝ち、練士は敺衆に勝つ、凡そ十勝なる者は盡く之を有つ。故に發すること風雨の如く、動くこと雷霆の如く、獨り出で獨り入り、之を禁止する能うる莫し、權輿を待たず。故に佚田の言は非なり」と。桓公曰く、「善し」と。
現代語訳
桓公がまた管子に問うた。佚田が私に言った。うまくやる者は自分のものでないものを用い、自分の人でない人を使う。どうして諸侯の勢いに乗って天下を制さないのか、と。管子が答えた。佚田の言葉は違います。うまく国を治める者は、土地が開かれれば民は留まって住み、倉が満ちれば礼節を知る。そのうえ蓄えがなければ包囲を招き、城がもろければ攻め手を招く。内を定めなければ天下は保てません。佚田の言葉は違います。管子は言った。年ごとに一を蓄えれば、十年で十になる。年ごとに二を蓄えれば、五年で十になる。穀物が十あるうち五を押さえ、厚絹と白絹がそこに満ちれば、五は上にある。だから年を見て蓄え、時をかけて年を積めば、国に十年分の蓄えができる。富は貧しさに勝ち、勇は臆病に勝ち、智は愚に勝ち、細やかさは粗さに勝ち、義あるは義なきに勝ち、鍛えた士は駆り集めた人数に勝つ。この十の勝ちをすべて持つことになる。だから起こせば風雨のごとく、動けば雷のごとく、独り出て独り入り、誰も止められない。他人の勢いを借りる必要はない。だから佚田の言葉は違うのです。桓公は、よい、と言った。
解説
この章句が説くこと
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