管子 / 心術下
專於意,一於心,耳目端,知逺之證。能專乎?能一乎?能毋卜筮而知凶吉乎?能止乎?能已乎?能毋問於人而自得之於已乎?故曰:思之思之,不得,鬼神敎之。非鬼神之力也,其精氣之極也。一氣能變曰精,一事能變曰智。慕選者,所以等事也。極變者,所以應物也。慕選而不亂,極變而不煩,執一之君子。執一而不失,能君萬物,日月之與同光,天地之與同理。聖人裁物,不為物使。
新字:専於意,一於心,耳目端,知遠之証。能専乎?能一乎?能毋卜筮而知凶吉乎?能止乎?能已乎?能毋問於人而自得之於已乎?故曰:思之思之,不得,鬼神教之。非鬼神之力也,其精気之極也。一気能変曰精,一事能変曰智。慕選者,所以等事也。極変者,所以応物也。慕選而不乱,極変而不煩,執一之君子。執一而不失,能君万物,日月之与同光,天地之与同理。聖人裁物,不為物使。
書き下し
意を專らにし、心を一にすれば、耳目端しく、逺きを知るの證なり。能く專らにするか。能く一にするか。能く卜筮する毋くして凶吉を知るか。能く止まるか。能く已むか。能く人に問う毋くして自ら之を己に得るか。故に曰く、之を思い之を思い、得ざれば、鬼神之を敎うと。鬼神の力に非ざるなり、其の精氣の極なり。一氣能く變ずる、精と曰う。一事能く變ずる、智と曰う。慕選する者は、事を等しくする所以なり。變を極むる者は、物に應ずる所以なり。慕選して亂れず、變を極めて煩わしからざるは、一を執るの君子なり。一を執りて失わざれば、能く萬物に君たり、日月と光を同じくし、天地と理を同じくす。聖人は物を裁して、物に使われず。
現代語訳
意を専らにし、心を一つにすれば、耳と目は正しくなり、遠くを知るしるしとなる。専らにできるか。一つにできるか。占わずに吉凶を知れるか。止まれるか。やめられるか。人に問わずに自分から自分のうちに得られるか。だから言う、思いに思って得られないとき、鬼神が教えてくれる、と。それは鬼神の力ではない。自分の精気が極まったのである。一つの気がよく変わることを精といい、一つの事がよく変わることを智という。選び分けるのは、事を同じ高さに並べるためである。変化を極めるのは、物に応じるためである。選び分けて乱れず、変化を極めて煩わしくならないのが、一を握る君子である。一を握って失わなければ、万物の君となれる。日月と光を同じくし、天地と理を同じくする。聖人は物を裁いて、物に使われない。
解説
この章句が説くこと
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