二宮翁夜話 / 巻之四
翁曰、論語に曰、信なれば則民任ずと、児の母に於る、己何程に大切と思ふ物にても、疑はずして母には預くる物なり、是母の信、児に通ずればなり、予が先君に於る又同じ、予が桜町仕法の委任は、心組の次第一々申立るに及ばず、年々の出納計算するに及ばず、十ヶ年の間任せ置者也とあり、是予が身を委ねて、桜町に来りし所以なり、扨此地に来り、如何にせんと熟考するに、皇国開闢の昔、外国より資本を借りて、開きしにあらず、皇国は、皇国の徳沢にて、開たるに相違なき事を、発明したれば、本藩の下附金を謝絶し、近郷富家に借用を頼まず、此四千石の地の外をば、海外と見做し、吾神代の古に、豊葦原へ天降りしと決心し、皇国は皇国の徳沢にて開く道こそ、天照大御神の足跡なれと思ひ定めて、一途に開闢元始の大道に拠りて、勉強せしなり、夫開闢の昔、芦原に一人天降りしと覚悟する時は、流水に潔身せし如く、潔き事限りなし、何事をなすにも此覚悟を極むれば、依頼心なく、卑怯卑劣の心なく、何を見ても、浦山敷事なく、心中清浄なるが故に、願ひとして成就せずと云事なきの場に至るなり、この覚悟、事を成すの大本なり、我悟道の極意なり、此覚悟定まれば、衰村を起すも、廃家を興すもいと易し、只此覚悟一つのみ。
書き下し
翁曰く、論語に曰(いわ)く、信なれば則(すなわ)ち民(たみ)任ずと、児(こ)の母に於(お)ける、己(おのれ)何程(なにほど)に大切と思う物にても、疑(うたが)わずして母には預(あず)くる物なり、是(これ)母の信、児に通ずればなり、予(よ)が先君に於けるまた同じ、予が桜町仕法の委任(いにん)は、心組(こころぐみ)の次第一々申し立つるに及ばず、年々の出納計算するに及ばず、十ヶ年の間任(まか)せ置く者なりとあり、是予が身を委(ゆだ)ねて、桜町に来りし所以(ゆえん)なり、扨(さて)此(こ)の地に来り、如何(いか)にせんと熟考(じゅっこう)するに、皇国開闢(かいびゃく)の昔、外国より資本を借りて、開きしにあらず、皇国は、皇国の徳沢(とくたく)にて、開きたるに相違なき事を、発明したれば、本藩の下附金(かふきん)を謝絶(しゃぜつ)し、近郷富家に借用を頼まず、此の四千石の地の外をば、海外と見做(みな)し、吾(われ)神代(かみよ)の古(いにしえ)に、豊葦原(とよあしはら)へ天降(あまくだ)りしと決心し、皇国は皇国の徳沢にて開く道こそ、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の足跡なれと思い定めて、一途に開闢元始の大道に拠(よ)りて、勉強せしなり、夫(それ)開闢の昔、芦原(あしはら)に一人天降りしと覚悟する時は、流水に潔身(みそぎ)せし如く、潔(いさぎよ)き事限りなし、何事をなすにも此の覚悟を極むれば、依頼(いらい)心なく、卑怯卑劣(ひきょうひれつ)の心なく、何を見ても、浦山敷(うらやましき)事なく、心中清浄なるが故に、願いとして成就(じょうじゅ)せずと云う事なきの場に至るなり、この覚悟、事を成すの大本なり、我が悟道(ごどう)の極意なり、此の覚悟定まれば、衰村(すいそん)を起すも、廃家を興(おこ)すもいと易(やす)し、只此の覚悟一つのみ。
現代語訳
翁が言われた。論語に「信頼があれば民は任される」とある。子が母に対して、自分がどれほど大切に思う物であっても、疑わずに母には預けるものだ。これは母の信頼が子に通じているからである。私と先君(藩主)の関係もまた同じだ。私が桜町の仕法を委任されたときの命令書には、「計画の一々を申し立てるには及ばず、毎年の収支を計算するにも及ばず、十年の間すべて任せおく」とあった。これこそ私が身を委ねて桜町へ来た理由である。さて、この地に来てどうしようかと熟考したとき、わが国は建国の昔に外国から資本を借りて開かれたのではなく、この国自身の徳の恵みによって開かれたに相違ないと気づいた。そこで藩からの補助金を辞退し、近隣の富豪への借金も頼まず、この四千石の地の外はすべて海外と見なし、自分は神代の昔に豊葦原へただ一人天降ったのだと決心した。この国はこの国の徳の恵みで開く道こそ天照大御神の足跡なのだと思い定め、ひたすら建国当初の大道によって励んだのである。そもそも建国の昔、葦原にただ一人天降ったのだと覚悟するときは、流れる水で禊をしたように、清らかなこと限りない。何事をなすにもこの覚悟を極めれば、人を頼る心もなく、卑怯卑劣な心もなく、何を見てもうらやむこともなく、心の中が清らかであるから、願って成就しないということのない境地に至るのだ。この覚悟こそ事を成す大本であり、私が悟った道の極意である。この覚悟さえ定まれば、衰えた村を再興するのも、廃れた家を興すのもたやすい。ただこの覚悟一つあるのみだ。
解説
この章句が説くこと
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