幽夢影 / 巻下・玉蘭は花中の伯夷なり
玉蘭,花中之伯夷也(高而且潔)。葵,花中之伊尹也(傾心向日)。蓮,花中之柳下惠也(污泥不染)。鶴,鳥中之伯夷也(仙品也)。鷄,鳥中之伊尹也(司晨)。鶯,鳥中之柳下惠也(求友)。
新字:玉蘭,花中之伯夷也(高而且潔)。葵,花中之伊尹也(傾心向日)。蓮,花中之柳下恵也(汚泥不染)。鶴,鳥中之伯夷也(仙品也)。鶏,鳥中之伊尹也(司晨)。鶯,鳥中之柳下恵也(求友)。
書き下し
玉蘭は、花中の伯夷なり(高くして且つ潔し)。葵は、花中の伊尹なり(心を傾けて日に向ふ)。蓮は、花中の柳下惠なり(污泥に染まらず)。鶴は、鳥中の伯夷なり(仙品なり)。鷄は、鳥中の伊尹なり(晨を司る)。鶯は、鳥中の柳下惠なり(友を求む)。
現代語訳
白木蓮は、花の中の伯夷です(高くそびえて、しかも清らかです)。葵は、花の中の伊尹です(心を傾けて太陽に向かいます)。蓮は、花の中の柳下恵です(泥の中にあっても染まりません)。鶴は、鳥の中の伯夷です(仙人の風格があります)。鶏は、鳥の中の伊尹です(夜明けを告げる務めを果たします)。鶯は、鳥の中の柳下恵です(友を求めて鳴きます)。
解説
花と鳥を、『孟子』が称えた三人の聖人に見立てた一則です。孟子は、伯夷を聖人の清なる者、伊尹を聖人の任なる者、柳下恵を聖人の和なる者と評しました。伯夷は清廉を貫いた人で、高く白い玉蘭や、俗世を離れた鶴にたとえられます。伊尹は天下を引き受けて殷の湯王を助けた宰相で、太陽に向かう葵や、朝を告げる役目を担う鶏がそれにあたります。柳下恵は誰とでも和やかに交わりながら染まらなかった人で、泥から咲く蓮や、友を呼ぶ鶯に重ねられています。清・任・和という三つの徳は、それぞれ別の美しさを持っています。自分がどの徳に近いか、考えてみたくなる一則です。
この章句が説くこと
聖人孟子清廉花鳥見立て
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