幽夢影 / 巻下・影の受くると施すと
鏡與水之影,所受者也;日與燈之影,所施者也。月之有影,則在天者爲受,而在地者爲施也。
新字:鏡与水之影,所受者也;日与灯之影,所施者也。月之有影,則在天者為受,而在地者為施也。
書き下し
鏡と水との影は、受くる所の者なり。日と燈との影は、施す所の者なり。月の影有るは、則ち天に在る者は受と爲し、地に在る者は施と爲すなり。
現代語訳
鏡や水に映る影は、受け取ったものです。太陽や灯火が作る影は、与えたものです。月の影はというと、天にあるものは受け取ったものであり、地に落ちるものは与えたものなのです。
解説
影を、受け取るものと与えるものに分けて考えた一則です。鏡や水面は、ほかから来た光や姿を受け取って映し出します。太陽や灯火は、自ら光を放って物に影を落とさせます。月はその両方を兼ね、天にあっては太陽の光を受けて輝き、地上には光を注いで影を作ります。受ける側と与える側が一つのものの中でつながっているという、見事な観察です。友人の鄭破水は「受と施の二字は、陰陽の理を深く得ている」と評しています。龐天池は「幽夢の影は、心斎にとっては施すもの、私にとっては受けるものだ」と、書名にかけています。人もまた誰かから受け取ったものを、別の誰かに与えて生きているのだと気づかされます。
この章句が説くこと
受施影陰陽観察恩
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