幽夢影 / 巻下・痛みは忍ぶべくして癢きは忍ぶべからず
痛可忍,而癢不可忍;苦可耐,而酸不可耐。
書き下し
痛みは忍ぶべくして、癢きは忍ぶべからず。苦きは耐ふべくして、酸きは耐ふべからず。
現代語訳
痛みは我慢できますが、かゆみは我慢できません。苦さは耐えられますが、酸っぱさは耐えられません。
解説
感覚の不思議を、痛みとかゆみ、苦さと酸っぱさの対で言い当てた一則です。大きな痛みにはかえって覚悟が決まるのに、小さなかゆみにはどうにも我慢がききません。苦い薬は飲み下せても、酸っぱいものは顔をしかめずにいられません。張潮は理屈を言わず、誰もが身に覚えのある感覚をそのまま差し出しています。酸には、貧乏書生のしみったれた気取りという意味もあり、友人の陳康疇は「私の見るところ、酸っぱい書生に限って苦しみに耐えられない」と、その意味にかけてしゃれています。人の心も、大きな試練より小さな不快に振り回されがちです。自分を乱すかゆみが何かを知っておくと、落ち着いて対処できます。
この章句が説くこと
忍感覚観察修養諧謔
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