幽夢影 / 巻下・人生必ず三百歳にして後に可ならんか
昔人欲以十年讀書,十年遊山,十年檢藏。予謂檢藏儘可不必十年,只二三載足矣。若讀書與遊山,雖或相倍蓰,恐亦不足以償所願也。必也,如黃九煙前輩之所云:「人生必三百歳而後可乎!」
新字:昔人欲以十年読書,十年遊山,十年検蔵。予謂検蔵儘可不必十年,只二三載足矣。若読書与遊山,雖或相倍蓰,恐亦不足以償所願也。必也,如黄九煙前輩之所云:「人生必三百歳而後可乎!」
書き下し
昔人十年を以て書を讀み、十年山に遊び、十年藏を檢せんと欲す。予謂へらく藏を檢するは儘く十年を必とせざるべし、只二三載にして足れり。書を讀むと山に遊ぶとの若きは、或は相倍蓰すと雖も、恐らくは亦以て願ふ所を償ふに足らざらん。必ずや、黃九煙前輩の云ふ所の如く、「人生必ず三百歳にして後に可ならんか」と。
現代語訳
昔の人は、十年を読書に、十年を山歩きに、十年を収蔵品の整理に充てたいと願いました。私が思うに、収蔵品の整理には十年もかける必要はなく、二、三年で十分です。けれども読書と山歩きは、たとえその二倍、五倍の年月をかけても、願いを満たすには足りないでしょう。先輩の黄九煙が言ったように、「人生は三百歳あってはじめて足りるのではないか」というところです。
解説
読書と山水の楽しみには、いくら時間があっても足りないという、張潮の貪欲な願いを語った一則です。検蔵は、集めた書物や品々を調べ整えることと解されます。倍蓰は二倍と五倍、つまり何倍もという意味で、『孟子』に見える言葉です。昔の人は三十年あれば読書と旅と整理ができると考えましたが、張潮は整理は数年で済むとして、読書と旅に時間を回したがっています。友人の孫松坪は、明の李長蘅の「峰ごとに一年ずつ住みたい」という句を引き、三百歳でもまだ短いと評しています。人生の時間は限られています。何に多く時間を使いたいのかを、あらためて見定めさせてくれる一則です。
この章句が説くこと
読書遊山時間閑適学問
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