幽夢影 / 巻下・山水に遊玩するも亦緣有り
遊玩山水,亦復有緣。苟機緣未至,則雖近在數十里之內,亦無暇到也。
新字:遊玩山水,亦復有縁。苟機縁未至,則雖近在数十里之内,亦無暇到也。
書き下し
山水に遊玩するも、亦復た緣有り。苟も機緣未だ至らざれば、則ち近く數十里の內に在りと雖も、亦到るに暇無きなり。
現代語訳
山水に遊ぶことにも、また縁というものがあります。もし巡り合わせが来ていなければ、たとえ数十里の近さにあっても、訪れる暇がないものです。
解説
旅にも縁がある、という実感を語った短い一則です。機縁はもともと仏教の言葉で、物事が起こるきっかけや巡り合わせを指します。行こうと思えばいつでも行ける近くの名所ほど、かえって訪れる機会を逃しているものです。友人の張南村は、張潮に黄山に登ったことがあるかと尋ねたら「まだ」と答えたので、これは機縁が来ていないのだろうと書いています。張潮の故郷の徽州は黄山のふもとにあたるだけに、ほほえましい話です。陸雲士は十年慕って初めて張潮に会えたと述べ、人との出会いにも縁があると重ねています。いつでもできると思っていることこそ、機会を逃さないよう心に留めたいものです。
この章句が説くこと
機縁山水旅閑適巡り合い
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