幽夢影 / 巻下・善く書を讀む者は之くとして書に非ざる無し
善讀書者,無之而非書:山水亦書也,棋酒亦書也,花月亦書也;善遊山水者,無之而非山水:書史亦山水也,詩酒亦山水也,花月亦山水也。
新字:善読書者,無之而非書:山水亦書也,棋酒亦書也,花月亦書也;善遊山水者,無之而非山水:書史亦山水也,詩酒亦山水也,花月亦山水也。
書き下し
善く書を讀む者は、之くとして書に非ざるは無し。山水も亦書なり、棋酒も亦書なり、花月も亦書なり。善く山水に遊ぶ者は、之くとして山水に非ざるは無し。書史も亦山水なり、詩酒も亦山水なり、花月も亦山水なり。
現代語訳
読書の上手な人にとっては、どこへ行っても書物でないものはありません。山水もまた書物であり、囲碁や酒もまた書物であり、花や月もまた書物です。山水に遊ぶのが上手な人にとっては、どこへ行っても山水でないものはありません。書物や史書もまた山水であり、詩や酒もまた山水であり、花や月もまた山水なのです。
解説
読書と山水遊びを鏡合わせにして、その達人の境地を描いた一則です。読書の上手な人は、紙の本だけでなく、山や川、碁や酒、花や月からも学びを引き出します。山水を楽しむ上手な人は、書物や詩の中にも山水の広がりを見いだします。つまり、どちらの達人も、対象ではなく受け取る心の側に楽しみの源を持っているということです。友人の江含徴は「明け方に布団にくるまっていると、無数の山水や書物が目の前と胸中に浮かぶ」と評し、尤悔菴は「山と水と書は、一にして二、二にして三、三にして一だ」と言っています。何からでも学べる人は、どこにいても退屈しないのでしょう。
この章句が説くこと
読書山水学問風雅閑適
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