幽夢影 / 巻下・卜を以て學を講ずる者
嚴君平以卜講學者也,孫思邈以醫講學者也,諸葛武侯以出師講學者也。
新字:厳君平以卜講学者也,孫思邈以医講学者也,諸葛武侯以出師講学者也。
書き下し
嚴君平は卜を以て學を講ずる者なり、孫思邈は醫を以て學を講ずる者なり、諸葛武侯は出師を以て學を講ずる者なり。
現代語訳
厳君平(漢の蜀の占い師)は占いによって学問を講じた人です。孫思邈(唐の名医)は医術によって学問を講じた人です。諸葛武侯(三国蜀の諸葛亮)は出陣によって学問を講じた人です。
解説
講壇に立たなくても、自分の仕事を通して学問を説いた三人を挙げた一則です。厳君平は成都で占いを業とし、占いに来た人に、子には孝を、臣には忠を説いて、善へと導いたと伝えられます。孫思邈は医術に優れ、医師の心構えを説いた文章でも知られます。諸葛亮は出陣に際して『出師表』を奉り、忠誠と国を思う心を示しました。張潮は、学問とは書斎で講じるものだけではなく、それぞれの職分の中で実践し、人に示すものだと考えています。友人の殷日戒は「心斎もまた『幽夢影』で学を講じているのだろう」と評しています。自分の仕事そのものが、誰かへの教えになりうると気づかせてくれます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
講学実践職分学問諸葛亮
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