幽夢影 / 巻下・孔子は東魯に生まる
孔子生於東魯;東者生方,故禮樂文章,其道皆自無而有。釋迦生於西方;西者死地,故受想行識,其教皆自有而無。
新字:孔子生於東魯;東者生方,故礼楽文章,其道皆自無而有。釈迦生於西方;西者死地,故受想行識,其教皆自有而無。
書き下し
孔子は東魯に生まる。東は生方なり、故に禮樂文章、其の道皆無よりして有なり。釋迦は西方に生まる。西は死地なり、故に受想行識、其の教皆有よりして無なり。
現代語訳
孔子は東方の魯の国に生まれました。東は生命の生まれる方角です。だから礼楽や文章など、その道はすべて無から有を生み出すものです。釈迦は西方に生まれました。西は死の方角です。だから受・想・行・識など、その教えはすべて有を無に帰するものです。
解説
儒教と仏教の違いを、生まれた方角で説明してみせた奇抜な一則です。古い五行の考えでは、東は春と生命、西は秋と実りのあとの衰えに結びつけられます。孔子の教えは礼楽や文章を作り、社会に秩序と文化を積み上げていく道です。一方、仏教の受想行識は、色と合わせて五蘊と呼ばれる人の心身の構成要素で、仏教はそれらがみな空であると説き、執着を離れさせます。こじつけではありますが、儒教が築く教え、仏教がほどく教えという対比は的を射ています。友人の殷日戒は「孔子は生きているうちの努力を勧め、仏は死に際に主体を保つことを教える」と評しています。
この章句が説くこと
儒教仏教孔子釈迦五行
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