顔氏家訓 / 歸心
原夫四塵五蔭、剖析形有、六舟三駕、運載群生:萬行歸空、千門入善、辯才智惠、豈徒七經、百氏之博哉?明非堯、舜、周、孔所及也。內外兩教、本為一體、漸積為異、深淺不同。內典初門、設五種禁、外典仁義禮智信、皆與之符。仁者、不殺之禁也、義者、不盜之禁也、禮者、不邪之禁也、智者、不酒之禁也、信者、不妄之禁也。至如畋狩軍旅、燕享刑罰、因民之性、不可卒除、就為之節、使不淫濫爾。歸周、孔而背釋宗、何其迷也!
新字:原夫四塵五蔭、剖析形有、六舟三駕、運載群生:万行帰空、千門入善、弁才智恵、豈徒七経、百氏之博哉?明非堯、舜、周、孔所及也。内外両教、本為一体、漸積為異、深浅不同。内典初門、設五種禁、外典仁義礼智信、皆与之符。仁者、不殺之禁也、義者、不盗之禁也、礼者、不邪之禁也、智者、不酒之禁也、信者、不妄之禁也。至如畋狩軍旅、燕享刑罰、因民之性、不可卒除、就為之節、使不淫濫爾。帰周、孔而背釈宗、何其迷也!
書き下し
原ぬるに夫れ四塵五蔭は、形有を剖析し、六舟三駕は、群生を運載す。万行は空に帰し、千門は善に入る。弁才智恵は、豈に徒らに七経・百氏の博きのみならんや。明らかに堯・舜・周・孔の及ぶ所に非ざるなり。内外の両教は、本と一体たり。漸積して異と為り、深浅同じからず。内典の初門には、五種の禁を設く。外典の仁義礼智信は、皆な之と符す。仁とは、不殺の禁なり。義とは、不盗の禁なり。礼とは、不邪の禁なり。智とは、不酒の禁なり。信とは、不妄の禁なり。畋狩軍旅、燕享刑罰の如きに至りては、民の性に因り、卒かには除くべからず。就きて之が節を為し、淫濫ならざらしむるのみ。周・孔に帰して釈宗に背くは、何ぞ其れ迷えるや。
現代語訳
考えてみると、四塵と五蘊は形あるものを分析し、六度と三乗はあらゆる生きものを運び載せる。あらゆる行いは空に帰し、あらゆる門は善に入る。その弁舌の才と智慧は、どうして七経や諸子百家の博識にとどまろうか。明らかに堯・舜・周公・孔子の及ぶところではない。仏教と儒教の二つの教えは、もともと一体である。次第に積み重なって異なるものとなり、深さ浅さが同じではなくなった。仏典の入門には五つの戒めが設けられている。儒教の仁・義・礼・智・信は、みなこれと合致する。仁とは殺さない戒め、義とは盗まない戒め、礼とは邪淫しない戒め、智とは酒を飲まない戒め、信とは偽らない戒めである。狩猟や軍事、宴会や刑罰といったことに至っては、民の性質に基づくもので、急には除けない。それに即して節度を定め、度を越さないようにするだけである。周公と孔子に帰依して仏教に背くのは、なんと迷ったことか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「仁なる者は、人なり。合せて之を言えば、道なり。」
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論語・雍也篇子貢曰く、「如し博く民に施して能く衆を済うこと有らば、何如。仁と謂う可きか。」子曰く、「何ぞ仁を事とせん、必ずや聖か。堯舜も其れ猶お諸を病めり。夫れ仁者は、己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。能く近く譬を取る、仁の方と謂う可きのみ。」
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論語・衛霊公篇子曰く、民の仁に於けるや、水火よりも甚だし。水火は、吾蹈みて死する者を見たり。未だ仁を蹈みて死する者を見ざるなり。
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論語・顔淵篇顔淵、仁を問う。子曰く、「己に克ちて礼に復るを仁と為す。一日己に克ちて礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為すは己に由る、而して人に由らんや。」顔淵曰く、「請う、其の目を問わん。」子曰く、「礼に非ざれば視ること勿かれ、礼に非ざれば聴くこと勿かれ、礼に非ざれば言うこと勿かれ、礼に非ざれば動くこと勿かれ。」顔淵曰く、「回不敏なりと雖も、請う斯の語を事とせん。」
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『近思録』巻1 道体医書に「手足の痿痺を不仁と為す」と言う。この言、最も善く状を名づく。仁者は天地万物を以て一体と為し、己に非ざるは莫し。認め得て己と為さば、何の至らざる所あらん。もし諸れを己に有たざれば、自ら己と相い干せず。手足の不仁なるが如く、気すでに貫かざれば、皆な己に属せず。故に博く施し衆を済うは、乃ち聖の功用なり。仁は至って言い難し。故にただ「己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。能く近く譬を取る、仁の方と謂うべきのみ」と曰う。
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論語・里仁篇子曰わく、不仁者は久しく約に処るべからず、長く楽に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。