幽夢影 / 巻下・善を爲し惡を爲すの四生
不待教而爲善爲惡者,胎生也。必待教而後爲善爲惡者,卵生也。偶因一事之感觸,而突然爲善爲惡者,濕生也。(如周處、戴淵之改過,李懷光反叛之類。)前後判若兩截,究非一日之故也,化生也。(如唐玄宗、衞武公之類。)
新字:不待教而為善為悪者,胎生也。必待教而後為善為悪者,卵生也。偶因一事之感触,而突然為善為悪者,湿生也。(如周処、戴淵之改過,李懐光反叛之類。)前後判若両截,究非一日之故也,化生也。(如唐玄宗、衛武公之類。)
書き下し
教へを待たずして善を爲し惡を爲す者は、胎生なり。必ず教へを待ちて後に善を爲し惡を爲す者は、卵生なり。偶一事の感觸に因りて、突然として善を爲し惡を爲す者は、濕生なり。(周處・戴淵の過ちを改め、李懷光の反叛するの類の如し。)前後判として兩截の若きも、究に一日の故に非ざるは、化生なり。(唐の玄宗・衞の武公の類の如し。)
現代語訳
教えを待たずに善をなしたり悪をなしたりする人は、胎生です。必ず教えを受けてから善をなしたり悪をなしたりする人は、卵生です。たまたま一つの出来事に心を動かされて、突然善をなしたり悪をなしたりする人は、湿生です。(周処や戴淵(ともに晋の人)が過ちを改め、李懐光(唐の武将)が反乱を起こしたような類です。)前半生と後半生がまるで別人のようでありながら、実は一日で変わったわけではない人は、化生です。(唐の玄宗や衛の武公のような類です。)
解説
仏教で生き物の生まれ方を四つに分けた四生を借りて、人が善悪に向かう型を分類した一則です。四生とは、母胎から生まれる胎生、卵から生まれる卵生、湿った所から生じる湿生、何もない所から忽然と生じる化生のことです。生まれつきの性質で動く人、教育によって動く人、一つの出来事をきっかけに一変する人、長い時間をかけて別人のように変わる人と、見事に当てはめています。周処は郷里の三害の一つと言われながら改心した人物です。玄宗は前半の善政から晩年の失政へ、衛の武公は若い頃の過ちから晩年の賢君へと変わりました。人の変化には、急なものとゆっくりしたものがあると知っておくと、人を見る目が深まります。
この章句が説くこと
善悪四生教育改過人物
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