幽夢影 / 巻下・春風は酒の如し
春風如酒,夏風如茗,秋風如煙,冬風如薑芥。
書き下し
春風は酒の如く、夏風は茗の如く、秋風は煙の如く、冬風は薑芥の如し。
現代語訳
春の風は酒のようで、夏の風は茶のようで、秋の風は煙のようで、冬の風は生姜やからしのようです。
解説
四季の風を、飲み物や香りや味にたとえた感覚的な一則です。春風は人をほろ酔いのように心地よくさせ、夏風は熱い体に一服の茶のような涼しさをもたらします。秋風は煙のように淡くつかみどころがなく、もの寂しさを漂わせます。冬風は生姜やからしのように、肌をぴりりと刺します。目に見えない風を、味覚や嗅覚で言い表したところに新鮮さがあります。友人の許筠菴は「だから秋風の客は辛辣な味わいがあるのだ」と評しています。季節の移ろいを五感で細やかに受け止めると、同じ通勤路でも日々の味わいが変わってきます。今日の風がどんな味か、確かめてみたくなる一則です。
この章句が説くこと
四季風感性自然閑適
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