茶の本 / 第三章 道教と禅道・列子とともに風に御す
シナ歴史は、熱心な道教信者が王侯も隠者も等しく彼らの信条の教えに従って、いろいろな興味深い結果をもたらした実例に満ち満ちている。その物語には必ずその持ち前の楽しみもあり教訓もあろう。逸話、寓言、警句も豊かにあろう。生きていたことがないから死んだこともないあの愉快な皇帝と、求めても言葉をかわすくらいの間がらになりたいものである。列子とともに風に御して寂静無為を味わうこともできよう、われらみずから風であり、天にも属せず地にも属せず、その中間に住した河上の老人とともに中空にいるものであるから。現今のシナに見る、かの奇怪な、名ばかりの道教においてさえも、他の何道にも見ることのできないたくさんの比喩を楽しむことができるのである。
書き下し
シナ歴史は、熱心な道教信者が、王侯も隠者も等しく彼らの信条の教えに従って、いろいろな興味深い結果をもたらした実例に満ち満ちている。その物語には必ずその持ち前の楽しみもあり教訓もあろう。逸話、寓言、警句も豊かにあろう。生きていたことがないから死んだこともない、あの愉快な皇帝と、求めても言葉をかわすくらいの間がらになりたいものである。列子とともに風に御して寂静無為を味わうこともできよう、われらみずから風であり、天にも属せず地にも属せず、その中間に住した河上の老人とともに中空にいるものであるから。現今のシナに見る、かの奇怪な、名ばかりの道教においてさえも、他の何道にも見ることのできないたくさんの比喩を楽しむことができるのである。
現代語訳
中国の歴史は、熱心な道教の信者が、王侯であれ隠者であれ等しく自分の信条の教えに従って、さまざまな興味深い結果をもたらした実例に満ち満ちています。その物語には必ずそれ特有の楽しみも教訓もあるでしょう。逸話、たとえ話、警句も豊かにあるでしょう。生きたことがないから死んだこともない、あの愉快な皇帝と、求めてでも言葉を交わすくらいの間柄になりたいものです。列子とともに風に乗って静けさと無為を味わうこともできましょう。私たち自身が風であり、天にも地にも属さず、その中間に住んだ河上の老人とともに中空にいるのですから。今の中国に見られる、あの奇怪な名ばかりの道教においてさえ、他のどの道にも見られない多くのたとえを楽しむことができます。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・陽貨篇子曰く、飽食終日、心を用うる所無きは、難いかな。博弈なる者有らずや。之を為すは、猶お已むに賢れり。
-
説苑・君道斉の宣王、尹文に謂いて曰く、「人君の事は何如」と。尹文対えて曰く、「人君の事は、無為にして能く下を容る。夫れ事寡なければ従い易く、法省ければ因り易し、故に民は政を以て罪を獲ず。大道は衆を容れ、大徳は下を容れ、聖人は寡為にして天下理まる。書に曰く、『睿は聖を作す』と。詩人曰く、『岐に夷の行有り、子孫其れ之を保たん』と」と。宣王曰く、「善し」と。
-
説苑・君道晋の平公、師曠に問いて曰く、「人君の道は如何」と。対えて曰く、「人君の道は、清浄無為、務めて博愛にあり、趨りて賢を任ずるにあり、広く耳目を開きて以て万方を察し、流俗に固溺せず、左右に拘繋せられず、廓然として遠く見、踔然として独立し、屡々考績を省みて、以て臣下に臨む。此れ人君の操なり」と。平公曰く、「善し」と。
-
老子・第37章道は常に無為にして而も為さざる無し。侯王若し能く之を守らば、万物は将に自ら化せんとす。化して作らんと欲すれば、吾れ将に之を鎮むるに無名の樸を以てせんとす。無名の樸は、夫れ亦た将に欲無からんとす。欲せずして以て静かなれば、天下は将に自ら定まらんとす。
-
論語・衛霊公篇孔子曰わく、無為にして治むる者は、その舜なるか。夫れ何をか為さん。己を恭しくして南面するのみ。
-
『信心銘』第十四章智者(ちしゃ)は無為(むい)、愚人(ぐにん)は自(みづか)ら縛(しば)る。法(ほう)に異法(いほう)無(な)きに、妄(みだ)りに自(みづか)ら愛著(あいじゃく)す。心(しん)を將(も)って心(しん)を用(もち)ゐる、豈(あ)に大錯(だいしゃく)に非(あら)ずや。