幽夢影 / 巻下・人生必ず一樁の極めて快意なる事有るべし
閲《水滸傳》,至魯達打鎭關西、武松打虎,因思人生必有一樁極快意事,方不枉在生一場。即不能有其事,亦須著得一種得意之書,庶幾無憾耳。(如李太白有貴妃捧硯事,司馬相如有文君當罏事,嚴子陵有足加帝腹事,王渙、王昌齡有旗亭畫壁事,王子安有順風過江作《滕王閣序》事之類。)
新字:閲《水滸伝》,至魯達打鎮関西、武松打虎,因思人生必有一樁極快意事,方不枉在生一場。即不能有其事,亦須著得一種得意之書,庶幾無憾耳。(如李太白有貴妃捧硯事,司馬相如有文君当罏事,厳子陵有足加帝腹事,王渙、王昌齢有旗亭画壁事,王子安有順風過江作《滕王閣序》事之類。)
書き下し
『水滸傳』を閲して、魯達の鎭關西を打ち、武松の虎を打つに至り、因りて思ふ、人生必ず一樁の極めて快意なる事有りて、方に生に在ること一場を枉げず。即し其の事有る能はずんば、亦須く一種の得意の書を著し得て、庶幾はくは憾み無からんのみ。(李太白に貴妃硯を捧ぐるの事有り、司馬相如に文君罏に當るの事有り、嚴子陵に足を帝の腹に加ふるの事有り、王渙・王昌齡に旗亭に壁に畫するの事有り、王子安に順風に江を過りて『滕王閣序』を作るの事有るの類の如し。)
現代語訳
『水滸伝』を読んで、魯達(魯智深)が鎮関西をなぐり倒し、武松が虎を打ち殺すところまで来て、ふと思いました。人生には必ず一つ、この上なく痛快な出来事があってこそ、この世に生まれた甲斐があるというものです。もしそうした出来事がかなわないなら、せめて一冊、自分で得意とする書物を著してこそ、悔いがないというものでしょう。(李白に楊貴妃が硯を捧げ持った話があり、司馬相如に卓文君が酒場で燗番をした話があり、厳子陵(後漢の隠者)に皇帝の腹に足を乗せて寝た話があり、王渙(王之渙のことでしょう)と王昌齢に酒楼で歌われた詩の数を壁に書き付けた話があり、王子安(王勃)に順風に乗って江を渡り『滕王閣序』を作った話があるような類です。)
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『幽夢影』巻上・姓に佳有り劣有り『水滸傳』に武松蔣門神を詰りて云ふ、「爲何ぞ李と姓せざる」と。此の語殊に妙なり。蓋し姓には實に佳有り劣有り。華の如き、柳の如き、雲の如き、蘇の如き、喬の如きは、皆極めて風韻あり。夫の毛や、賴や、焦や、牛やの若きは、則ち皆目に塵し耳に棘す。
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『幽夢影』巻下・書有れば必ず當に讀むべし天下に書無ければ則ち已む、有れば則ち必ず當に讀むべし。酒無ければ則ち已む、有れば則ち必ず當に飲むべし。名山無ければ則ち已む、有れば則ち必ず當に遊ぶべし。花月無ければ則ち已む、有れば則ち必ず當に賞玩すべし。才子佳人無ければ則ち已む、有れば則ち必ず當に愛慕憐惜すべし。
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『幽夢影』巻下・人生必ず三百歳にして後に可ならんか昔人十年を以て書を讀み、十年山に遊び、十年藏を檢せんと欲す。予謂へらく藏を檢するは儘く十年を必とせざるべし、只二三載にして足れり。書を讀むと山に遊ぶとの若きは、或は相倍蓰すと雖も、恐らくは亦以て願ふ所を償ふに足らざらん。必ずや、黃九煙前輩の云ふ所の如く、「人生必ず三百歳にして後に可ならんか」と。
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『幽夢影』巻上・翰墨棋酒無くんば昔人云ふ、若し花・月・美人無くんば、此の世界に生ずるを願はずと。予一語を益して云ふ、若し翰・墨・棋・酒無くんば、必ずしも定めて人身と作らずと。
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『幽夢影』巻上・怒る處も亦樂しむ處なり書を讀むは最も樂し、若し史書を讀まば、則ち喜び少く怒り多し、之を究むれば怒る處も亦樂しむ處なり。
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『幽夢影』巻上・水滸傳は是れ一部の怒書『水滸傳』は是れ一部の怒書なり。『西遊記』は是れ一部の悟書なり。『金瓶梅』は是れ一部の哀書なり。