幽夢影 / 巻上・水滸傳は是れ一部の怒書
《水滸傳》是一部怒書;《西遊記》是一部悟書;《金瓶梅》是一部哀書。
新字:《水滸伝》是一部怒書;《西遊記》是一部悟書;《金瓶梅》是一部哀書。
書き下し
『水滸傳』は是れ一部の怒書なり。『西遊記』は是れ一部の悟書なり。『金瓶梅』は是れ一部の哀書なり。
現代語訳
『水滸伝』は怒りの書です。『西遊記』は悟りの書です。『金瓶梅』は哀しみの書です。
解説
明代の三つの長編小説の本質を、それぞれ一字で言い当てた一則です。水滸伝は、腐敗した官僚に追い詰められた豪傑たちが梁山泊に集まる物語で、その底には世の不正への怒りが流れています。西遊記は、三蔵法師の一行が試練を越えて経典を求める旅で、修行と悟りの寓意として読まれてきました。金瓶梅は、欲望にふける人々が次々と破滅していく物語で、張潮はそこに人の世の哀れを見ています。友人の江含徵は、金瓶梅の読み方を知らず、ただ淫らなところをまねるのは、蘇東坡を慕いながら東坡肉を食べるのを喜ぶだけの者と同じだと戒めています。一冊の本の核心を一語で言い表してみるのは、読書を深める良い練習です。
この章句が説くこと
読書文学小説批評怒り
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『幽夢影』巻上・怒る處も亦樂しむ處なり書を讀むは最も樂し、若し史書を讀まば、則ち喜び少く怒り多し、之を究むれば怒る處も亦樂しむ處なり。
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『幽夢影』巻上・姓に佳有り劣有り『水滸傳』に武松蔣門神を詰りて云ふ、「爲何ぞ李と姓せざる」と。此の語殊に妙なり。蓋し姓には實に佳有り劣有り。華の如き、柳の如き、雲の如き、蘇の如き、喬の如きは、皆極めて風韻あり。夫の毛や、賴や、焦や、牛やの若きは、則ち皆目に塵し耳に棘す。
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『酔古堂剣掃』集法・恰も是れ酒肉漢の本色《水滸傳》は有らざる所無し、卻って破老の一事無し。缺陷に關するに非ず、恰も是れ酒肉漢の本色なり。此の如くにして益〻作者の妙を知る。
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『幽夢影』巻下・人生必ず一樁の極めて快意なる事有るべし『水滸傳』を閲して、魯達の鎭關西を打ち、武松の虎を打つに至り、因りて思ふ、人生必ず一樁の極めて快意なる事有りて、方に生に在ること一場を枉げず。即し其の事有る能はずんば、亦須く一種の得意の書を著し得て、庶幾はくは憾み無からんのみ。(李太白に貴妃硯を捧ぐるの事有り、司馬相如に文君罏に當るの事有り、嚴子陵に足を帝の腹に加ふるの事有り、王渙・王昌齡に旗亭に壁に畫するの事有り、王子安に順風に江を過りて『滕王閣序』を作るの事有るの類の如し。)
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『幽夢影』巻上・經を讀むは冬に宜し經を讀むは冬に宜し、其の神專らなればなり。史を讀むは夏に宜し、其の時久しければなり。諸子を讀むは秋に宜し、其の致別なればなり。諸集を讀むは春に宜し、其の機暢ぶればなり。
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『幽夢影』巻上・能く記するを難しと爲す書を藏するは難からず、能く看るを難しと爲す。書を看るは難からず、能く讀むを難しと爲す。書を讀むは難からず、能く用ふるを難しと爲す。能く用ふるは難からず、能く記するを難しと爲す。