幽夢影 / 巻上・姓に佳有り劣有り
《水滸傳》武松詰蔣門神云:「爲何不姓李。」此語殊妙。蓋姓實有佳有劣:如華、如柳、如雲、如蘇、如喬,皆極風韻;若夫毛也、賴也、焦也、牛也,則皆塵於目而棘於耳也。
新字:《水滸伝》武松詰蒋門神云:「為何不姓李。」此語殊妙。蓋姓実有佳有劣:如華、如柳、如雲、如蘇、如喬,皆極風韻;若夫毛也、頼也、焦也、牛也,則皆塵於目而棘於耳也。
書き下し
『水滸傳』に武松蔣門神を詰りて云ふ、「爲何ぞ李と姓せざる」と。此の語殊に妙なり。蓋し姓には實に佳有り劣有り。華の如き、柳の如き、雲の如き、蘇の如き、喬の如きは、皆極めて風韻あり。夫の毛や、賴や、焦や、牛やの若きは、則ち皆目に塵し耳に棘す。
現代語訳
『水滸伝』で武松が蒋門神に「どうして李という姓ではないのか」と詰め寄る場面があります。この言葉はとても面白いものです。思うに、姓には実際に良いものと悪いものがあります。華、柳、雲、蘇、喬などは、どれもたいへん風情があります。一方、毛、頼、焦、牛などは、どれも目にはほこりのように、耳には棘のように感じられます。
解説
姓の字面や響きに良し悪しがあると言った、遊び心の強い一則です。『水滸伝』では、武松が蒋門神の酒場で言いがかりをつけ、主人の姓が蒋なのをなぜ李ではないのかと理不尽に責める場面があり、張潮はその言いがかりを妙だと面白がっています。華・柳・雲・蘇・喬は花や雲を思わせる美しい字で、毛・頼・焦・牛は字の意味がそれぞれ動物の毛、頼る、焦げる、牛を連想させるというわけです。もちろん人柄とは関係のない、字面だけの好みです。友人の先渭求は、それならあなたはなぜ李と名乗らないのかと切り返しています。名前の響きが印象を左右するのは、今の名づけや商品名でも同じです。
この章句が説くこと
機知風雅名前言葉水滸伝
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