幽夢影 / 巻下・物に各偶有り儗ふるに必ず倫に於てす
黎舉云:「欲令梅聘海棠,棖子(想是橙。)臣櫻桃,以芥嫁筍,但時不同耳。」予謂「物各有偶,儗必於倫」。今之嫁娶,殊覺未當。如梅之爲物,品最淸高;棠之爲物,姿極妖艷。即使同時,亦不可爲夫婦。不若梅聘梨花,海棠嫁杏,櫞臣佛手,荔枝臣櫻桃,秋海棠嫁鴈來紅,庶幾相稱耳。至若以芥嫁筍,筍如有知,必受河東獅子之累矣。
新字:黎舉云:「欲令梅聘海棠,棖子(想是橙。)臣桜桃,以芥嫁筍,但時不同耳。」予謂「物各有偶,儗必於倫」。今之嫁娶,殊覚未当。如梅之為物,品最清高;棠之為物,姿極妖艶。即使同時,亦不可為夫婦。不若梅聘梨花,海棠嫁杏,櫞臣仏手,荔枝臣桜桃,秋海棠嫁鴈来紅,庶幾相称耳。至若以芥嫁筍,筍如有知,必受河東獅子之累矣。
書き下し
黎舉云ふ、「梅をして海棠を聘らしめ、棖子(想ふに是れ橙ならん。)をして櫻桃を臣とせしめ、芥を以て筍に嫁せしめんと欲す、但だ時同じからざるのみ」と。予謂へらく「物には各偶有り、儗ふるには必ず其の倫に於てす」と。今の嫁娶は、殊に未だ當らざるを覺ゆ。梅の物爲る、品最も淸高なり。棠の物爲る、姿極めて妖艷なり。即使ひ時を同じくすとも、亦夫婦と爲すべからず。梅は梨花を聘り、海棠は杏に嫁し、櫞は佛手を臣とし、荔枝は櫻桃を臣とし、秋海棠は鴈來紅に嫁するに若かず、庶幾はくは相稱はんのみ。芥を以て筍に嫁するが若きに至りては、筍如し知有らば、必ず河東獅子の累を受けん。
現代語訳
黎挙という人は「梅に海棠を娶らせ、棖子(おそらく橙のことでしょう)に桜桃を家来とさせ、からし菜を筍に嫁がせたいものだ。ただ時季が合わないのが残念だ」と言いました。私は「物にはそれぞれふさわしい相手がいて、なぞらえるなら必ず同じ類のものにすべきだ」と思います。いまの縁組みは、どうにもふさわしくないように感じられます。梅という花は品格がもっとも清らかで気高く、海棠という花は姿がきわめてあでやかです。たとえ咲く時季が同じでも、夫婦にしてはなりません。それよりは、梅に梨の花を娶らせ、海棠を杏に嫁がせ、香櫞に仏手柑を家来とさせ、荔枝に桜桃を家来とさせ、秋海棠を雁来紅(ハゲイトウ)に嫁がせるほうが、つり合いがとれるでしょう。からし菜を筍に嫁がせるに至っては、筍にもし心があれば、きっと河東の獅子(恐ろしい妻)に悩まされることになります。
解説
この章句が説くこと
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