幽夢影 / 巻下・忙人の園亭は住宅と相連なるべし
忙人園亭,宜與住宅相連;閒人園亭,不妨與住宅相遠。
新字:忙人園亭,宜与住宅相連;閒人園亭,不妨与住宅相遠。
書き下し
忙人の園亭は、宜しく住宅と相連なるべく、閒人の園亭は、住宅と相遠きを妨げず。
現代語訳
忙しい人の庭園は、住まいとつながっているのがよいのです。暇のある人の庭園は、住まいから離れていてもかまいません。
解説
庭園の置き場所を、住む人の忙しさで分けて考えた一則です。園亭は庭と東屋を備えた、くつろぐための場所です。忙しい人は出かける暇がないので、家から一歩出ればすぐ庭に入れるほうがよく、暇な人はわざわざ出向くこと自体を楽しめるというわけです。当たり前のようでいて、楽しみは暮らしの動線に合わせて設けないと使われない、という鋭い観察を含んでいます。友人の張竹坡は「本当の閑人なら、庭園そのものを住まいにするはずだ」と評しています。忙しい人ほど、くつろぎを遠くに求めず、毎日通る場所に小さな楽しみを置いておくことが大切なのかもしれません。
この章句が説くこと
閑適園亭住まい暮らし忙
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