酔古堂剣掃 / 集綺・衣を薰ずるは豆蔻の香
養紙芙蓉粉,薰衣豆蔻香。
新字:養紙芙蓉粉,薫衣豆蔻香。
書き下し
紙を養ふは芙蓉の粉、 衣を薰ずるは豆蔻の香。
現代語訳
紙を養うには芙蓉の粉を用い、衣に香をたきしめるには豆蔻(ずく)の香りを用います。
解説
文房と装いの雅な手入れを、二つの句で並べた一則です。紙を養うとは、紙を良い状態に保つために手入れをすることで、芙蓉の粉を用いたことは、少し後の則にも古人の風習として出てきます。豆蔻は、香りの強い植物の実で、香料として衣服に香をたきしめるのに用いられました。杜牧の詩で少女の初々しさのたとえにも使われた植物です。書く紙と身にまとう衣に、それぞれ花と香りを添えるという、細やかな暮らしの美意識が表れています。道具や衣服をただ使うのではなく、手をかけて慈しむことで、日々の暮らしそのものが風雅なものになります。身の回りの物を丁寧に扱う心がけにも通じる句です。
この章句が説くこと
風雅文房香暮らし手入れ
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