幽夢影 / 巻下・無益の詩文は壽を祝ふに過ぐるは莫し
無益之施捨,莫過於齋僧;無益之詩文,莫過於祝壽。
新字:無益之施捨,莫過於斎僧;無益之詩文,莫過於祝寿。
書き下し
無益の施捨は、僧に齋するより過ぐるは莫く、無益の詩文は、壽を祝ふより過ぐるは莫し。
現代語訳
役に立たない施しとして、僧に食事を供養することほどのものはありません。役に立たない詩文として、誕生祝いの作ほどのものはありません。
解説
習慣として行われながら中身の乏しい二つを、皮肉をこめて並べた対句です。斎僧は僧に食事を施して功徳を積むこと、祝寿は長寿の祝いに贈る詩文のことです。張潮の時代には、どちらも形式的に行われることが多かったのでしょう。とくに祝寿の詩文は、頼まれて決まり文句を並べる代筆仕事になりがちでした。友人の張竹坡はこれにならって「無益な心配は貧乏を憂えること、無益な学問は名声を求めること」と続けています。慣例だからと続けていることの中に、本当に誰かの役に立っているのか見直すべきものがないか、考えさせられる一則です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
施し詩文形式処世慣習
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