幽夢影 / 巻下・淸閒は以て壽考に當つべし
文名可以當科第,儉德可以當貨財,淸閒可以當壽考。
新字:文名可以当科第,倹徳可以当貨財,清閒可以当寿考。
書き下し
文名は以て科第に當つべく、儉德は以て貨財に當つべく、淸閒は以て壽考に當つべし。
現代語訳
文章による名声は科挙の合格に匹敵し、つつましい徳は財産に匹敵し、清らかなゆとりは長寿に匹敵します。
解説
世間が求める三つの幸福を、別の三つで置き換えてみせた対句です。科第は科挙に及第すること、寿考は長生きのことです。文名があれば官位がなくても人に重んじられ、倹約の徳があれば財産がなくても暮らしが立ち、ゆったりした時間があれば寿命が延びたのと同じだというわけです。友人の范汝受は「貧しい文人の自己慰めにすぎない」と手厳しく評しますが、曾青藜は「何事もなく静かに坐れば一日が二日のようだ、七十年生きれば百四十年になる」という句を引いて、清閑が長寿に当たる注釈としています。手に入らないものを嘆くより、手元にあるものの値打ちを数え直す発想は、今も心を軽くしてくれます。
この章句が説くこと
清貧倹約閑適処世幸福
関連する章句
-
『幽夢影』巻上・安閒の貧賤に若かず富貴にして勞悴するは、安閒の貧賤に若かず。貧賤にして驕傲なるは、謙恭の富貴に若かず。
-
『幽夢影』巻上・濁富を爲すは淸貧を爲すに若かず濁富を爲すは淸貧を爲すに若かず、憂へて以て生くるは樂しみて以て死するに若かず。
-
『幽夢影』巻上・多聞直諒の友有る工夫の書を讀む有る、之を福と謂ふ。力量の人を濟ふ有る、之を福と謂ふ。學問の著述する有る、之を福と謂ふ。是非の耳に到る無き、之を福と謂ふ。多聞直諒の友有る、之を福と謂ふ。
-
『酔古堂剣掃』集醒・謗を得れば以て名を銷すべし清福は上帝の吝む所、而して忙に習へば以て福を銷すべし。清名は上帝の忌む所、而して謗を得れば以て名を銷すべし。
-
『幽夢影』巻上・人生此くの如くんば全福と云ふべし太平の世に値ひ、湖山の郡に生まれ、官長は廉靜、家道は優裕、婦を娶れば賢淑、子を生めば聰慧。人生此くの如くんば、全福と云ふべし。
-
『幽夢影』巻下・妾の美なるは妻の賢なるに如かず妾の美なるは妻の賢なるに如かず、錢の多きは境の順なるに如かず。