幽夢影 / 巻上・多聞直諒の友有る
有工夫讀書,謂之福;有力量濟人,謂之福;有學問著述,謂之福;無是非到耳,謂之福;有多聞直諒之友,謂之福。
新字:有工夫読書,謂之福;有力量済人,謂之福;有学問著述,謂之福;無是非到耳,謂之福;有多聞直諒之友,謂之福。
書き下し
工夫の書を讀む有る、之を福と謂ふ。力量の人を濟ふ有る、之を福と謂ふ。學問の著述する有る、之を福と謂ふ。是非の耳に到る無き、之を福と謂ふ。多聞直諒の友有る、之を福と謂ふ。
現代語訳
書物を読む時間があること、これを福といいます。人を救う力があること、これを福といいます。学問があって著述ができること、これを福といいます。人の噂や是非が耳に入ってこないこと、これを福といいます。見聞が広く、まっすぐで誠実な友がいること、これを福といいます。
解説
文人にとっての五つの幸福を並べた一則です。書経の洪範には長寿や富などの五福が説かれていますが、張潮はそれとは別に、読書の暇、人を助ける力、著述できる学問、噂話に煩わされない静けさ、よい友という、心の豊かさに根ざした五福を挙げています。多聞直諒は論語の益者三友、つまり正直な友、誠実な友、物知りの友から取った言葉です。友人の楊聖藻は、自分次第のものは必ず得られるが、人次第のものは必ずとは言えないと冷静に分けています。李水樵は、五つがそろえば言うことはないが、半分でも得られれば福がないとは言えないとなだめています。自分の福を数え直すと、案外恵まれていることに気づきます。
この章句が説くこと
幸福交友読書学問閑適
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