幽夢影 / 巻下・古人を見ず安んぞ恨まざらん
惠施多方,其書五車。虞卿以窮愁著書,今皆不傳。不知書中果作何語?我不見古人,安得不恨!
新字:恵施多方,其書五車。虞卿以窮愁著書,今皆不伝。不知書中果作何語?我不見古人,安得不恨!
書き下し
惠施は多方にして、其の書は五車。虞卿は窮愁を以て書を著す。今皆傳はらず。知らず書中果して何の語をか作せる。我古人を見ず、安んぞ恨まざるを得んや。
現代語訳
恵施(戦国時代の思想家)は多方面に通じ、その著書は車五台分もありました。虞卿(戦国時代の趙の宰相)は困窮と憂いの中で書を著しました。けれども今はどちらも伝わっていません。書の中にいったい何が書かれていたのか分かりません。私は古人に会うことができないのですから、どうして悔やまずにいられましょうか。
解説
失われた古典への、読書人らしい嘆きを述べた一則です。恵施について「多方にして、其の書は五車」とあるのは『荘子』天下篇の言葉で、「五車の書」は博学の代名詞になりました。虞卿は『史記』に伝があり、地位を失ったのちに困窮の中で書を著したと記されています。どちらの著作も今は失われ、題名や評判しか残っていません。張潮は、読みたくても読めない本があることを、古人に会えない恨みとして語ります。友人の龐天池は「私はむしろ古人が心斎(張潮の号)に会えないことを恨む」と持ち上げています。今読める本がどれほど幸運に残ったものかを思うと、手元の一冊の重みが違って見えます。
この章句が説くこと
読書古人恵施虞卿学問
関連する章句
-
人物志・體別夫れ學は材を成す所以なり、疏は情を推す所以なり。偏材の性は、移轉すべからず。
-
言志四録・南洲手抄学之を古訓に稽へ、問之を師友に質すは、人皆之を知る。学必ず之を躬に学び、問必ず諸を心に問ふは、其れ幾人有らんか。
-
言志四録・南洲手抄朝にして食はずば、昼にして饑う。少うして学ばずば、壮にして惑ふ。饑うるは猶忍ぶ可し、惑ふは奈何ともす可からず。
-
歎異抄・第十二条経釈を読み学せざる輩、往生不定の由のこと。この条、すこぶる不足言の義と言いつべし。 他力真実の旨を明かせる諸の聖教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る、そのほか何の学問かは往生の要なるべきや。 まことにこの理に迷えらん人は、いかにもいかにも学問して、本願の旨を知るべきなり。 経釈を読み学すといえども、聖教の本意を心得ざる条、もっとも不便のことなり。
-
論語・為政篇子曰く、異端を攻むるは、斯れ害のみ。
-
説苑・建本子思曰わく、学は才を益す所以なり、礪は刃を致す所以なり。吾嘗て幽処して深く思うも、学の速やかなるに若かず。吾嘗て跂ちて望むも、高きに登りて博く見るに若かず。故に風に順いて呼べば、声疾しきを加えざれども聞く者衆し。丘に登りて招けば、臂長きを加えざれども見る者遠し。故に魚は水に乗り、鳥は風に乗り、草木は時に乗る。