幽夢影 / 巻下・文章は字句有るの錦繡
文章是有字句之錦繡,錦繡是無字句之文章。兩者同出於一原,姑即粗跡論之,如金陵、如武林、如姑蘇,書林之所在,即杼機之所在也。
新字:文章是有字句之錦繍,錦繍是無字句之文章。両者同出於一原,姑即粗跡論之,如金陵、如武林、如姑蘇,書林之所在,即杼機之所在也。
書き下し
文章は是れ字句有るの錦繡、錦繡は是れ字句無きの文章なり。兩者は同じく一原より出づ。姑く粗跡に即きて之を論ずれば、金陵の如き、武林の如き、姑蘇の如き、書林の所在は、即ち杼機の所在なり。
現代語訳
文章とは文字のある錦の織物であり、錦の織物とは文字のない文章です。両者はもともと同じ一つの源から出ています。ひとまず目に見える表面の跡から論じてみれば、金陵(南京)、武林(杭州)、姑蘇(蘇州)のように、書肆が集まっている土地は、そのまま機織りの盛んな土地でもあるのです。
解説
文章と織物を「字句の有る無し」で言い換えた、鏡合わせの対句です。錦繡は色糸で模様を織り出した美しい絹織物のことです。張潮は両者を同じ源から出たものと見て、その証拠を地理に求めます。金陵・武林・姑蘇はいずれも江南の都市で、出版と絹織物の両方で栄えた土地でした。言葉を組み立てることと糸を組み立てることは、どちらも細部を積み重ねて一つの模様を作る営みです。文章を書くときに、織物のように全体の柄と一本一本の糸の両方を見る目を持つと、文章の手触りが変わってくるかもしれません。
この章句が説くこと
文章錦繍風雅学問江南
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