幽夢影 / 巻下・茫茫たる宇宙誰に向かひて問はん
我又不知在隆萬時,曾於舊院中交幾名妓,眉公伯虎若士赤水諸君,曾共我談笑幾回。茫茫宇宙,我今當向誰問之耶!
新字:我又不知在隆万時,曽於旧院中交幾名妓,眉公伯虎若士赤水諸君,曽共我談笑幾回。茫茫宇宙,我今当向誰問之耶!
書き下し
我は又知らず、隆萬の時に在りて、曾て舊院の中に於て幾名の妓に交はり、眉公・伯虎・若士・赤水の諸君、曾て我と共に談笑すること幾回なるかを。茫茫たる宇宙、我今當に誰に向かひて之を問ふべきや。
現代語訳
私はまた知りません、隆慶・万暦の時代(明の後期)に、旧院(南京の遊里)で何人の名妓と交わったのか、陳眉公(陳継儒)、唐伯虎(唐寅)、湯若士(湯顕祖)、屠赤水(屠隆)といった方々が、私と何回談笑したのかを。果てしない宇宙の中で、私はいま誰に向かってこれを問えばよいのでしょうか。
解説
前の則に続いて、前世の自分への空想を明代後期に移した一則です。隆万は明の隆慶と万暦の年号で、江南の文化が爛熟した時代です。旧院は南京にあった遊里で、才芸にすぐれた名妓と文人が交わる場として知られました。眉公は隠士として名高い陳継儒、若士は牡丹亭で知られる劇作家の湯顕祖、赤水は文人の屠隆です。伯虎は画家として名高い唐寅ですが、実際にはこの時代より少し前の人です。最後に、果てしない宇宙で誰に問えばよいのかと嘆くところに、答えの出ない問いを抱える寂しさがにじみます。友人の顧天石は、百年後には張潮と交われなかったことを恨む人がきっと現れるだろうと応じています。
この章句が説くこと
風雅交友歴史憧れ文人
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