幽夢影 / 巻下・芰荷は食ふべく亦衣るべし
芰荷可食而亦可衣,金石可器而亦可服。
書き下し
芰荷は食ふべくして亦衣るべく、金石は器とすべくして亦服すべし。
現代語訳
菱や蓮は食べることもでき、衣にすることもできます。金属や石は器にすることもでき、薬として飲むこともできます。
解説
一つのものが二通りに役立つことを、菱や蓮と金石の例で示した対句です。菱の実や蓮根は食べられ、屈原の離騒には、菱や蓮の葉を裁って衣にするという句があり、隠者の清らかな衣の象徴とされてきました。金や石は器物の材料になる一方、道教では金丹や石薬として服用し、長生を求めるものでもありました。服は飲むことです。友人の張竹坡は、それなら蓮を愛した周濂渓も、結局は衣食のためだったのだと茶化し、王司直は、今の衣食のためにあくせくする人は周濂渓に似ているだろうかと問い返しています。同じものに複数の使い道を見いだす目は、限られた資源を生かす工夫につながります。
この章句が説くこと
自然発想道教屈原活用
関連する章句
-
『幽夢影』巻上・之を兼ぬる者は其れ惟だ蓮か凡そ花色の嬌媚なる者は、多く甚だしくは香らず。瓣の千層なる者は、多く實を結ばず。甚だしいかな全才の難きや。之を兼ぬる者は、其れ惟だ蓮か。
-
『幽夢影』巻上・天下に一人の知己有らば天下に一人の己を知るもの有らば、以て恨みざるべし。獨り人のみならず、物も亦之有り。菊は淵明を以て知己と爲し、梅は和靖を以て知己と爲し、竹は子猷を以て知己と爲し、蓮は濂溪を以て知己と爲し、桃は避秦人を以て知己と爲し、杏は董奉を以て知己と爲し、石は米顛を以て知己と爲し、荔枝は太眞を以て知己と爲し、茶は盧仝・陸羽を以て知己と爲し、香草は靈均を以て知己と爲し、鱸は季鷹を以て知己と爲し、蕉は懷素を以て知己と爲し、瓜は邵平を以て知己と爲し、鷄は處宗を以て知己と爲し、鵝は右軍を以て知己と爲し、鼓は禰衡を以て知己と爲し、琵琶は明妃を以て知己と爲すが如し。一たび之と訂すれば、千秋移らず。松の秦始に於ける、鶴の衞懿に於けるが若きは、正に所謂與に緣を作すべからざる者なり。
-
『幽夢影』巻下・草木も亦人倫有り古は禽獸も亦人倫を知ると謂ふ。予謂へらく獨り禽獸のみに匪ず、即ち草木も亦復た之有り。牡丹は王爲り、芍藥は相爲り、其れ君臣なり。南山の喬、北山の梓は、其れ父子なり。荊の分つを聞きて枯れ、分たざるを聞きて活くるは、其れ兄弟なり。蓮の并蒂は、其れ夫婦なり。蘭の同心は、其れ朋友なり。
-
『幽夢影』巻下・梅は人をして高からしむ梅は人をして高からしめ、蘭は人をして幽ならしめ、菊は人をして野ならしめ、蓮は人をして淡ならしめ、春海棠は人をして艷ならしめ、牡丹は人をして豪ならしめ、蕉と竹とは人をして韻あらしめ、秋海棠は人をして媚ならしめ、松は人をして逸ならしめ、桐は人をして淸からしめ、柳は人をして感ぜしむ。
-
『幽夢影』巻下・玉蘭は花中の伯夷なり玉蘭は、花中の伯夷なり(高くして且つ潔し)。葵は、花中の伊尹なり(心を傾けて日に向ふ)。蓮は、花中の柳下惠なり(污泥に染まらず)。鶴は、鳥中の伯夷なり(仙品なり)。鷄は、鳥中の伊尹なり(晨を司る)。鶯は、鳥中の柳下惠なり(友を求む)。
-
『幽夢影』巻上・花を愛するの心を以て美人を愛す花を愛するの心を以て美人を愛すれば、則ち領略自ら別趣に饒かなり。美人を愛するの心を以て花を愛すれば、則ち護惜倍ます深情有り。