幽夢影 / 巻上・方外は但だ須らく俗を戒むべし
方外不必戒酒,但須戒俗;紅裙不必通文,但須得趣。
書き下し
方外は必ずしも酒を戒めず、但だ須らく俗を戒むべし。紅裙は必ずしも文に通ぜず、但だ須らく趣を得べし。
現代語訳
僧侶や道士は必ずしも酒を断たなくてもよいのですが、ただ俗っぽさだけは断たなければなりません。女性は必ずしも学問に通じていなくてもよいのですが、ただ趣を解することだけは必要です。
解説
形式よりも本質を問う対句です。方外は世俗の外にいる人、つまり僧侶や道士のことで、酒を断つのは戒律の形の一つにすぎず、本当に断つべきは名利を求める俗な心だと言います。紅裙は赤い裳、転じて女性、ここではとくに宴席に侍る芸妓を指します。詩文に通じているかどうかより、物事の趣を感じ取る心があるかどうかが大事だというわけです。友人の釈浮村は、居士のこの論を得たので、我々僧は安心して大いに飲めると喜び、弟の張東囿は、僧や道士は托鉢の勧進もやめてこそ妙だと茶化しています。規則を守っているかより、その精神を生きているかが問われるのは、どの世界でも同じです。
この章句が説くこと
修身風雅本質俗趣
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