幽夢影 / 巻上・戒に由りて定を得
由戒得定,由定得慧,勉強漸近自然;鍊精化氣,鍊氣化神,淸虛有何渣滓。
新字:由戒得定,由定得慧,勉強漸近自然;錬精化気,錬気化神,清虚有何渣滓。
書き下し
戒に由りて定を得、定に由りて慧を得、勉強して漸く自然に近し。精を鍊りて氣に化し、氣を鍊りて神に化す、淸虛何の渣滓か有らん。
現代語訳
戒律によって心の安定を得、心の安定によって智慧を得る。努めて励むうちに、次第に自然な境地に近づいていきます。精を練って気に変え、気を練って神に変える。清らかで虚ろな境地には、何の濁りも残りません。
解説
仏教と道教の修行の要点を、それぞれ一句ずつにまとめた対句です。前半は仏教の戒・定・慧の三学で、戒めを守ることで心が定まり、定まった心に智慧が生まれるという順序を示します。はじめは努力して行っていたことが、やがて自然にできるようになるという流れです。後半は道教の内丹の修行で、体の精を練って気とし、気を練って神、つまり精妙な心の働きにまで高めていきます。友人の袁中江は、これは仏道二家の学だが、我々儒者も同じではないかと言い、尤悔庵は、ごく平凡な言葉だが道はここにあると評しています。守るべき型を積み重ねるうちに、やがて自然体になれるのは、どの道の修練にも共通します。
この章句が説くこと
修身仏教道教修行鍛錬
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