仏遺教経 / 禅定
汝等比丘、若攝心者、心則在定。心在定故、能知世間生滅法相。是故汝等、常當精勤修習諸定。若得定者、心則不散、譬如惜水之家、善治隄塘、行者亦爾、為智慧水故、善修禪定、令不漏失。是名為定。
新字:汝等比丘、若摂心者、心則在定。心在定故、能知世間生滅法相。是故汝等、常当精勤修習諸定。若得定者、心則不散、譬如惜水之家、善治隄塘、行者亦爾、為智慧水故、善修禅定、令不漏失。是名為定。
書き下し
汝等比丘、若し心を摂むる者は、心則ち定に在り。心、定に在るが故に、能く世間の生滅の法相を知る。是の故に汝等、常に当に精勤して諸の定を修習すべし。若し定を得る者は、心則ち散ぜず。譬えば水を惜しむの家の、善く隄塘を治むるが如し。行者も亦た爾り。智慧の水の為の故に、善く禅定を修めて、漏失せしめざれ。是を定と名づく。
現代語訳
比丘たちよ、心を収める者は、心が定にある。心が定にあるから、世間の生滅の法のありさまを知ることができる。だからおまえたちは、常に努めてもろもろの定を修めよ。定を得た者は、心が散らない。たとえば水を大切にする家が、よく堤や池を整えるようなものだ。行者もまた同じである。智慧の水のために、よく禅定を修めて、漏らし失わないようにせよ。これを定という。
解説
八大人覚の第六。禅定を、堤と池の管理にたとえている。水を大切にする家は、まず堤を整える。水そのものを増やすのではなく、漏れないようにする。同じく智慧という水を保つために、禅定という堤を整えよ、と。ここで押さえたいのは順序である。前段の不忘念があって心が収まり、収まるから定にあり、定にあるから世の生滅が見える。そして次の段の智慧につながる。八大人覚は独立した八項目ではなく、少欲・知足から始まって智慧に至る階段になっている。集中は、知るための前提条件として位置づけられている。
この章句が説くこと
禅定心を摂むれば定に在り隄塘を治む智慧の水を漏失せしめず
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