幽夢影 / 巻上・虎を畫きて成らず反つて狗に類す
大家之文,吾愛之、慕之,吾願學之;名家之文,吾愛之、慕之,吾不敢學之。學大家而不得,所謂刻鵠不成,尚類鶩也;學名家而不得,則是畫虎不成,反類狗矣。
新字:大家之文,吾愛之、慕之,吾願学之;名家之文,吾愛之、慕之,吾不敢学之。学大家而不得,所謂刻鵠不成,尚類鶩也;学名家而不得,則是画虎不成,反類狗矣。
書き下し
大家の文は、吾之を愛し、之を慕ひ、吾願はくは之を學ばん。名家の文は、吾之を愛し、之を慕ふも、吾敢へて之を學ばず。大家を學びて得ざるは、所謂鵠を刻みて成らずとも、尚ほ鶩に類するなり。名家を學びて得ざるは、則ち是れ虎を畫きて成らず、反つて狗に類するなり。
現代語訳
大家の文章を、私は愛し慕い、ぜひ学びたいと思います。名家の文章も、私は愛し慕いますが、あえて学ぼうとはしません。大家を学んで身につかなくても、いわゆる白鳥を彫りそこなってもなお家鴨には似ているというものです。名家を学んで身につかなければ、虎を描きそこなってかえって犬に似てしまうことになります。
解説
手本にすべき文章と、手本にしてはいけない文章を見分けた一則です。大家は正統で骨太な文章を書く人、名家は独特の個性や才気で名を成した人のことです。刻鵠類鶩と画虎類狗は、後漢の馬援が甥たちに宛てた手紙の言葉で、謹厳な人をまねれば失敗してもまだ謹直な人になれるが、豪放な人をまねて失敗すれば軽薄者になるという戒めです。正統な型は、まねそこなってもそれなりの形が残りますが、個性的な芸は、まねそこなうと見られたものではないというわけです。友人の張竹坡は、今の人は名家の文を一、二句読んだだけで大家を自称すると皮肉っています。学ぶなら、まず崩れにくい基本の型からです。
この章句が説くこと
学問手本修身文章基本
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