幽夢影 / 巻上・武中の文と文中の武
武人不苟戰,是爲武中之文;文人不迂腐,是爲文中之武。
新字:武人不苟戦,是為武中之文;文人不迂腐,是為文中之武。
書き下し
武人苟くも戰はざるは、是れ武中の文爲り。文人迂腐ならざるは、是れ文中の武爲り。
現代語訳
武人がむやみに戦わないのは、武の中にある文です。文人が世事にうとく古くさくないのは、文の中にある武です。
解説
武人と文人に、それぞれ反対側の徳を求めた対句です。武人は戦うのが本分ですが、軽々しく戦わず、状況を見極めて力を抑えるところに文の徳、つまり思慮と教養が表れます。文人は学問が本分ですが、理屈ばかりで現実に役立たない迂腐に陥らず、実務に強いところに武の徳、つまり決断力と実行力が表れます。迂腐は回りくどく古くさいことです。友人の梅定九は、近頃は迂腐でない文人も多く、張潮もその一人だと褒め、顧天石はそれなら張潮は武夫と呼んでよいのかと笑っています。専門を持ちながら、反対側の力も身につけている人は、どの職場でも頼りにされます。
この章句が説くこと
修身文武中庸教養実務
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