幽夢影 / 巻上・全人と謂ふべし
十歳爲神童,二十、三十爲才子,四十、五十爲名臣,六十爲神仙,可謂全人矣。
新字:十歳為神童,二十、三十為才子,四十、五十為名臣,六十為神仙,可謂全人矣。
書き下し
十歳にして神童と爲り、二十・三十にして才子と爲り、四十・五十にして名臣と爲り、六十にして神仙と爲る、全人と謂ふべし。
現代語訳
十歳で神童と呼ばれ、二十代、三十代で才子と呼ばれ、四十代、五十代で名臣と呼ばれ、六十歳で仙人となる。これこそ完全な人と言えるでしょう。
解説
人生の各段階に理想の姿を割り当て、それをすべて満たす人を全人と呼んだ一則です。幼くして才気を示し、若くして文才で知られ、壮年には国を支える名臣となり、老いては俗を離れて仙人のように悠々と暮らします。一生のどの時期にも輝きを失わない生き方です。友人の張竹坡は、神童や才子は自分の努力でなれるが、名臣は君主次第、仙人は天次第で、必ずなれるものではないと冷静に分けています。江含徵は、名臣の時期に名利の場に落ちてしまうのが心配だと言い、顧天石は六十で仙人は早すぎると笑っています。人生の時期ごとに役割が変わることを意識すると、今やるべきことが見えてきます。
この章句が説くこと
立志修身人生才子名臣
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