呻吟語 / 内篇・問學・五十以前に德性堅定ならず
進德修業在少年,道明德立在中年,義精仁熟在晚年。若五十以前德性不能堅定,五十以後愈懶散,愈昏弱,再休說那中興之力矣。
新字:進徳修業在少年,道明徳立在中年,義精仁熟在晩年。若五十以前徳性不能堅定,五十以後愈懶散,愈昏弱,再休説那中興之力矣。
書き下し
德に進み業を修むるは少年に在り、道明らかに德立つは中年に在り、義精しく仁熟するは晚年に在り。若し五十以前に德性堅定する能はずんば、五十以後は愈いよ懶散、愈いよ昏弱なり。再び那の中興の力を說く休め。
現代語訳
徳に進み業を修めるのは若い時、道が明らかになり徳が立つのは中年、義が精しくなり仁が熟するのは晩年です。もし五十より前に徳性が堅く定まらなければ、五十を過ぎればいっそう怠り緩み、いっそう暗く弱くなります。もう立て直す力など口にしてはいけません。
解説
人生を三段に分け、それぞれの課題を示します。若い時は修め、中年は立て、晩年は熟す。そして五十という期限を示し、そこまでに定まらなければ後は下るだけだと言い切ります。前に出てきた四十という分かれ目と合わせると、期限が二重に置かれていることになります。時間が有限であることを、容赦なく突きつける一段です。
この章句が説くこと
年代期限五十熟成時間
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