幽夢影 / 巻上・惟だ雲のみ畫くべからず
雲之爲物,或崔嵬如山,或瀲灔如水;或如人,或如獸;或如鳥毳,或如魚鱗。故天下萬物皆可畫,惟雲不能畫;世所畫雲,亦強名耳。
新字:雲之為物,或崔嵬如山,或瀲灔如水;或如人,或如獣;或如鳥毳,或如魚鱗。故天下万物皆可画,惟雲不能画;世所画雲,亦強名耳。
書き下し
雲の物爲る、或いは崔嵬として山の如く、或いは瀲灔として水の如く、或いは人の如く、或いは獸の如く、或いは鳥毳の如く、或いは魚鱗の如し。故に天下の萬物は皆畫くべきも、惟だ雲のみ畫くべからず。世の畫く所の雲も、亦強ひて名づくるのみ。
現代語訳
雲というものは、ある時は山のように高くそびえ、ある時は水のようにさざ波立ち、ある時は人のようで、ある時は獣のようで、ある時は鳥の細かな羽毛のようで、ある時は魚のうろこのようです。だから天下のあらゆるものは描くことができても、ただ雲だけは描くことができません。世間で描かれている雲も、無理に雲と名づけているだけです。
解説
絶えず形を変える雲の本質を、絵に描けないという点から言い当てた一則です。山のようにそびえる入道雲、水面のように広がる雲、人や獣の姿、鳥の羽毛のような巻雲、魚のうろこのようないわし雲と、雲はどんな形にもなります。だから一つの形に定めて描いた瞬間、それはもう雲ではなく、雲と呼んでいるだけの絵になってしまうというわけです。崔嵬は高くそびえるさま、瀲灔は水が満ちてさざ波立つさまです。友人の張竹坡は、雲には表裏も陰陽も層もあり、古今に雲を描ける画家はいないと常々思っていたと共感しています。変わり続けるものを一つの型に押し込めない柔らかさを教えられます。
この章句が説くこと
自然風雅変化絵画観察
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