幽夢影 / 巻上・當に史漢を廢して讀まざるべし
高語山林者,輒不喜談市朝事。審若此,則當并廢《史》、《漢》諸書而不讀矣。蓋諸書所載者,皆古之市朝也。
新字:高語山林者,輒不喜談市朝事。審若此,則当并廃《史》、《漢》諸書而不読矣。蓋諸書所載者,皆古之市朝也。
書き下し
高く山林を語る者は、輒ち市朝の事を談ずるを喜ばず。審し此くの若くんば、則ち當に『史』『漢』の諸書を并せ廢して讀まざるべし。蓋し諸書の載する所の者は、皆古の市朝なればなり。
現代語訳
山林に隠れ住むことを高尚に語る人は、たいてい世間や朝廷のことを話したがりません。もし本当にそうなら、『史記』や『漢書』などの書物もすべてやめて読まないことにすべきです。なぜなら、それらの書物に書かれているのは、どれも昔の世間と朝廷のことだからです。
解説
隠逸を気取って世事を嫌う人の矛盾を突いた一則です。市朝は市場と朝廷、つまり世俗の利害と政治の世界です。山林の暮らしを高く語る人は、今の政治や世間の話を俗だと言って避けます。しかし歴史書に書かれているのは、まさに昔の市場と朝廷の出来事です。今の世事を嫌いながら昔の世事は喜んで読むのは筋が通らないというわけです。友人の張竹坡は、高尚に語る者は名ばかりの処士で、本当に山に入った者こそ世を治める力を持つと評しています。現実の問題から目をそらして理想だけを語る態度は、昔も今も見透かされるものです。

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隠逸処世歴史読書現実
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