幽夢影 / 巻上・惟だ驢のみ獨り否ず
物之穉者,皆不可厭,惟驢獨否。
新字:物之穉者,皆不可厭,惟驢独否。
書き下し
物の穉き者は、皆厭ふべからず、惟だ驢のみ獨り否ず。
現代語訳
生き物の幼いものは、どれも嫌いになれないものですが、ただ驢馬だけは別です。
解説
子どもの生き物はどれも愛らしいものだという一般論に、驢馬だけは例外だとおどけて付け加えた一則です。子犬や子猫、ひよこなど、幼い生き物にはだれもが心を和ませます。ところが驢馬の子は、張潮の目には幼いうちから顔が長くて間が抜けて見え、少しも可愛げがないというわけです。大まじめな格言のあとに、こうした肩の力の抜けた観察が混ざるのも、この書の魅力です。友人の黄略似は、生き物の年老いたものはどれも嫌なものだが、松と梅だけは別だと、逆の形で応じています。倪永清は、驢馬に惚れ込んだ者なら嫌にはならないと付け加えています。好みは人それぞれです。
この章句が説くこと
機知自然好み閑適観察
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