幽夢影 / 巻上・花中の萱草と爲るべし
當爲花中之萱草;毋爲鳥中之杜鵑。
新字:当為花中之萱草;毋為鳥中之杜鵑。
書き下し
當に花中の萱草と爲るべし、鳥中の杜鵑と爲る毋かれ。
現代語訳
花であるなら萱草(わすれぐさ)になるべきで、鳥であるなら杜鵑(ほととぎす)になってはいけません。
解説
憂いとの付き合い方を、花と鳥にたとえた短い対句です。萱草は古くから忘れ草と呼ばれ、身につけたり眺めたりすると憂いを忘れさせると言われてきました。杜鵑は、蜀の望帝の魂が化したもので、国を思って血を吐くまで鳴き続けるという伝説のある鳥です。張潮は、悲しみを忘れて朗らかに生きる萱草を選び、悲しみに沈み続ける杜鵑を避けよと言います。後に袁翔甫が補った評は、萱草は憂いを忘れ、杜鵑は血に啼く、悲しみと喜びのどちらに向かうのかと問いかけています。つらいことを抱え込み続けるより、上手に手放すことも生きる知恵の一つです。
この章句が説くこと
処世忘憂自然心萱草
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