幽夢影 / 巻上・空谷の足音
詩僧時復有之,若道士之能詩者,不啻空谷足音,何也?
書き下し
詩僧は時に復た之有り。道士の能く詩する者の若きは、啻に空谷の足音のみならず、何ぞや。
現代語訳
詩をよくする僧は時々います。ところが道士で詩のできる者となると、人のいない谷間に響く足音どころではないほど珍しいのは、なぜでしょうか。
解説
詩を詠む僧は多いのに、詩を詠む道士が少ないのはなぜかと問いかけた一則です。唐の寒山や皎然、宋の恵洪など、詩僧の名は数多く伝わります。一方、道士で詩名の高い者はずっと少ないという実感があったのでしょう。空谷足音は荘子にある言葉で、人気のない谷で人の足音を聞いたときのように、めったにないうれしさをいいます。友人の畢右万は、僧や道士が詩を作るのは難しくないが、残念なのは禅や玄の道を知らないことだと、本業のほうを問題にしています。なぜ同じ宗教者でも違いが出るのかを考えることは、組織の気風が人をどう育てるかを考えることにもつながります。
この章句が説くこと
学問宗教詩風雅気風
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