幽夢影 / 巻上・景に之を言へば極めて幽なる有り
景有言之極幽,而實蕭索者,煙雨也;境有言之極雅,而實難堪者,貧病也;聲有言之極韻,而實粗鄙者,賣花聲也。
新字:景有言之極幽,而実蕭索者,煙雨也;境有言之極雅,而実難堪者,貧病也;声有言之極韻,而実粗鄙者,売花声也。
書き下し
景に之を言へば極めて幽にして、實は蕭索たる者有り、煙雨なり。境に之を言へば極めて雅にして、實は堪へ難き者有り、貧病なり。聲に之を言へば極めて韻にして、實は粗鄙なる者有り、賣花の聲なり。
現代語訳
景色の中には、言葉にするとたいへん奥ゆかしいのに、実際はわびしいものがあります。煙るような雨です。境遇の中には、言葉にするとたいへん雅やかなのに、実際は耐えがたいものがあります。貧しさと病です。声の中には、言葉にするとたいへん風流なのに、実際は粗野なものがあります。花売りの呼び声です。
解説
言葉の上での美しさと、実際の味わいとのずれを三つ挙げた一則です。煙雨は詩に詠めば幽玄ですが、実際にはじめじめして寂しいものです。貧と病も、清貧や病中の詩と言えば雅やかに聞こえますが、当人には耐えがたい境遇です。売花声、つまり花売りの声も詩語としては風流ですが、実際に聞けば荒っぽい呼び声にすぎません。友人の謝海翁は逆に、言葉にすると極めて俗なのに実は愛すべきものがある、それは阿堵物(お金)だと笑っています。美しい言葉に酔わず、実際の手ざわりを確かめる目を持つことは、どの仕事にも欠かせません。
この章句が説くこと
処世清貧風雅実感言葉
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