幽夢影 / 巻上・莊周夢に蝴蝶と爲る
莊周夢爲蝴蝶,莊周之幸也;蝴蝶夢爲莊周,蝴蝶之不幸也。
新字:荘周夢為蝴蝶,荘周之幸也;蝴蝶夢為荘周,蝴蝶之不幸也。
書き下し
莊周夢に蝴蝶と爲るは、莊周の幸なり。蝴蝶夢に莊周と爲るは、蝴蝶の不幸なり。
現代語訳
荘周が夢で蝶になったのは、荘周にとって幸いなことです。蝶が夢で荘周になったのなら、それは蝶にとって不幸なことです。
解説
荘子の斉物論にある胡蝶の夢を、ひとひねりした一則です。荘子は、夢で蝶になって楽しく舞い、目覚めてみると、自分が蝶になった夢を見たのか、蝶が自分になった夢を見ているのかわからないと語りました。張潮はそこに幸と不幸を持ち込み、人が蝶になるのは身軽になれて幸いだが、蝶が人になるのは煩いを背負い込むから不幸だと言います。人の世の窮屈さを、さらりと皮肉っているわけです。友人の黄九煙は、荘周だからこそ蝶の夢を見られるのであり、俗塵にまみれた者にはこんな夢は見られないと評しています。肩の荷を下ろす時間の大切さを思わせます。
この章句が説くこと
荘子夢閑適隠逸自由
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荘子・斉物論昔者(むかし)荘周(そうしゅう)夢に胡蝶(こちょう)と為る。栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり。自ら喩(たの)しみて志に適(かな)えるかな。周なるを知らざるなり。俄然(がぜん)として覚(さ)むれば、則ち蘧蘧然(きょきょぜん)として周なり。知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。此を之れ物化(ぶっか)と謂う。
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