幽夢影 / 巻上・夏を以て三餘と爲すべし
古人以冬爲三餘。予謂當以夏爲三餘:晨起者,夜之餘;夜坐者,晝之餘;午睡者,應酬人事之餘。古人詩云:「我愛夏日長。」洵不誣也。
新字:古人以冬為三余。予謂当以夏為三余:晨起者,夜之余;夜坐者,昼之余;午睡者,応酬人事之余。古人詩云:「我愛夏日長。」洵不誣也。
書き下し
古人は冬を以て三餘と爲す。予謂へらく、當に夏を以て三餘と爲すべし。晨に起くるは、夜の餘なり。夜に坐するは、晝の餘なり。午に睡るは、人事に應酬するの餘なり。古人の詩に云ふ、「我は夏日の長きを愛す」と。洵に誣ひざるなり。
現代語訳
昔の人は冬を三余(三つのゆとりの時間)の一つとしました。私は、夏こそ三余とすべきだと思います。朝早く起きるのは、夜のゆとりです。夜に座って過ごすのは、昼のゆとりです。昼寝をするのは、人付き合いのゆとりです。昔の人の詩に「私は夏の日の長いのを愛する」とあります。まことにその通りです。
解説
学問のためのゆとりの時間、三余を夏に見いだした一則です。三余は三国時代の魏の董遇の言葉で、冬は一年の余り、夜は一日の余り、雨の日は時の余りであり、この三つの余りに書を読めと説いたものです。張潮はこれをひねり、夏には早朝、夜更け、昼寝という三つの余りがあると言います。昼寝まで余りに数えるところに、ゆったりした人柄がにじみます。我愛夏日長は、唐の文宗の詩句として伝わるものです。忙しい毎日でも、朝の一時間や夜のひとときなど、自分だけの余りの時間を見つけることが、学び続ける土台になります。
この章句が説くこと
読書閑適学問時間四季
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