幽夢影 / 巻上・淵博の友に對するは異書を讀むが如し
對淵博友,如讀異書;對風雅友,如讀名人詩文;對謹飭友,如讀聖賢經傳;對滑稽友,如閲傳奇小説。
新字:対淵博友,如読異書;対風雅友,如読名人詩文;対謹飭友,如読聖賢経伝;対滑稽友,如閲伝奇小説。
書き下し
淵博の友に對するは、異書を讀むが如し。風雅の友に對するは、名人の詩文を讀むが如し。謹飭の友に對するは、聖賢の經傳を讀むが如し。滑稽の友に對するは、傳奇小説を閲するが如し。
現代語訳
学識の広い友と向き合うのは、珍しい書物を読むようなものです。風雅な友と向き合うのは、名家の詩文を読むようなものです。慎み深く行いの正しい友と向き合うのは、聖賢の経典を読むようなものです。滑稽な友と向き合うのは、伝奇小説を読むようなものです。
解説
友を書物にたとえ、人と会うことを読書と重ねた一則です。博識の友からは知らないことを教わり、風雅な友からは言葉の美しさを味わい、謹直な友からは身を正す教えを受け、滑稽な友からは物語のような楽しさをもらいます。人との付き合いもまた読書であり、相手によって得るものが違うというわけです。友人の李聖許は逆に、これらの書を読むのもまたこれらの友と向き合うようなものだと返しています。人を一冊の本として読むつもりで会えば、どんな相手からも学ぶものが見つかります。付き合う相手の幅は、そのまま学びの幅になります。
この章句が説くこと
交友読書学問人物風雅
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