幽夢影 / 巻上・物類の神仙
鱗蟲中金魚,羽蟲中紫燕,可云物類神仙。正如東方曼倩避世,金馬門人不得而害之。
新字:鱗虫中金魚,羽虫中紫燕,可云物類神仙。正如東方曼倩避世,金馬門人不得而害之。
書き下し
鱗蟲の中の金魚、羽蟲の中の紫燕は、物類の神仙と云ふべし。正に東方曼倩の世を避くるに、金馬門の人得て之を害せざるが如し。
現代語訳
魚の中の金魚、鳥の中の燕は、生き物の中の仙人と言えます。ちょうど東方曼倩(漢の東方朔)が朝廷にいながら世を避けていたので、金馬門の人々も彼を害することができなかったようなものです。
解説
人の身近にいながら、食べられも狩られもしない金魚と燕を、生き物界の仙人に見立てた一則です。金魚は眺めるために飼われ、燕は人家の軒に巣をかけても大切にされます。これを、漢の武帝に仕えながら滑稽で身をかわし、朝廷の中で世を避けたと言われる東方朔になぞらえています。金馬門は東方朔が詔を待った宮門です。友人の江含徵は、金魚が釜ゆでを免れるのは色が美しく味がまずいからで、贈った金魚を煮て食べた役人もいたと笑っています。組織の中にいながら争いに巻き込まれない身の処し方を考えさせる一則です。
この章句が説くこと
処世隠逸東方朔自然保身
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