養生訓 / 巻第八・養老
一老後官職なき人は、常に只わが心と身を養ふ工夫を專にすべし。老境に無益のつとめのわざと藝術に心を勞し、氣力をつひやすべからず。一朝は、靜室に安坐し香をたきて、聖經を少し讀誦し、心をいさぎよくし俗慮をやむべし。道かわき風なくば、庭圃に出でて、從容として緩步し、草木を愛玩し時景を感賞すべし。室に歸りても、閑人を以て閑事をなすべし。よりより几案硯中のほこりをはらひ、席上階下の塵を掃除すべし。しばしば兀坐して睡臥すべからず。又世俗に廣く交るべからず。老人に宜しからず。
新字:一老後官職なき人は、常に只わが心と身を養ふ工夫を専にすべし。老境に無益のつとめのわざと芸術に心を労し、気力をつひやすべからず。一朝は、静室に安坐し香をたきて、聖経を少し読誦し、心をいさぎよくし俗慮をやむべし。道かわき風なくば、庭圃に出でて、従容として緩歩し、草木を愛玩し時景を感賞すべし。室に帰りても、閑人を以て閑事をなすべし。よりより几案硯中のほこりをはらひ、席上階下の塵を掃除すべし。しばしば兀坐して睡臥すべからず。又世俗に広く交るべからず。老人に宜しからず。
書き下し
一老後官職なき人は、常に只わが心と身を養ふ工夫を専にすべし。老境に無益のつとめのわざと芸術に心を労し、気力をつひやすべからず。一朝は、静室に安坐し香をたきて、聖経を少し読誦し、心をいさぎよくし俗慮をやむべし。道かわき風なくば、庭圃に出でて、従容として緩歩し、草木を愛玩し時景を感賞すべし。室に帰りても、閑人を以て閑事をなすべし。よりより几案硯中のほこりをはらひ、席上階下の塵を掃除すべし。しばしば兀坐して睡臥すべからず。又世俗に広く交るべからず。老人に宜しからず。
現代語訳
老後に官職のない人は、いつもただ自分の心と体を養う工夫にもっぱら努めるべきです。老いの境地で、無益な務めや技芸に心を疲れさせ、気力を費やしてはいけません。朝は静かな部屋に安らかに座り、香を焚いて、聖人の経書を少し読み、心を清くして世俗の思いをやめるべきです。道が乾いて風がなければ、庭に出てゆったりとゆるやかに歩き、草木を愛で、季節の景色を味わうべきです。部屋に帰っても、暇な人として暇なことをするのがよいのです。ときどき机や硯のほこりを払い、座敷や階下のちりを掃除すべきです。しばしばじっと座って居眠りしたり横になったりしてはいけません。また世間と広く交わってはいけません。老人にはよくありません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『養生訓』巻第八・養老一老人の保養は、常に元気を惜みてへらすべからず。気息を静にして、あらくすべからず。言語をゆるやかにして早くせず、言すくなくし、起居行歩をもしづかにすべし。言語あららかに、口はやく声高く、颺言すべからず。怒なくうれひなく、過ぎ去りたる人の過をとかむべからず、我が過をしきりに悔ゆべからず、人の無礼なる横逆をいかりうらむべからず。是皆、老人養生の道なり。又老人の徳行のつつしみなり。
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『養生訓』巻第八・養老一老人は、体気おとろへ腸胃よわし、つねに小児を養ふごとく心を用ふべし。飲食のこのみきらひをたづね、其寒温の宜きをこころみ、居室をいさぎよくし、風雨をふせぎ、冬暖かに夏涼くし、風寒暑湿の邪気をよく防ぎて犯さしめず、常に心を安楽ならしむべし。盗賊水火の不意なる変災あらば、先両親を驚かしめず、早く介保し出すべし。変にあひて病起らざるやうに心遣あるべし。老人は、驚けば病おこる。おそるべし。一老の身は、余命久しからざる事を思ひ、心を用ふる事わかき時にかはるべし。心しづかに事すくなくて、人に交る事も稀ならんこそ、あひにあひて宜しかるべけれ。是も亦老人の気を養ふ道なり。
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『養生訓』巻第八・養老一老いての後は、一日を以て十日として、日々に楽むべし。つねに日ををしみて、一日もあだにくらすべからず。世のなかの人のありさま、我が心にかなはずとも、凡人なればさこそあらめと思ひて、我が子弟をはじめ、人の過悪をなだめゆるして、とがむべからず、いかりうらむべからず。又わが身不幸にして福うすく、人われに対して横逆なるも、うき世のならひ斯くこそあらめと思ひ、天命を安じてうれふべからず。つねに楽しみて日を送るべし。人をうらみいかり、身をうれひなげきて、心をくるしめ楽まずして、はかなく年月を過ぎなん事をしむべし。かくをしむべき月日なるを、一日もたのしまずして、むなしく過ぎぬるは愚なりと云ふべし。たとひ家貧しく幸なくして、うゑて死ぬとも、死ぬる時までは楽みて過すべし。貧しきとて、人にむさぼり求め、不義にして命を惜むべからず。
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『養生訓』巻第八・養老一つねに静養すべし、あらき所作をなすべからず。老人は、少しの労動により、少しのやぶれ、疲れ、うれひによりて、たちまち大病おこり死にいたる事あり。常に心を用ふべし。一老人は、つねに盤坐して、凭几を後に置きてよりかかり坐すべし。平臥を好むべからず。
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『養生訓』巻第八・養老一老いては気すくなし。気をへらす事を忌むべし。第一、いかるべからず。うれひ、かなしみ、泣き、なげくべからず。喪葬の事にあづからしむべからず。死を弔ふべからず。思ひを過すべからず。尤多言を忌む。口早く物云ふべからず、高く物いひ、高くわらひ、高くうたふべからず。道を遠く行くべからず、道をはやく行くべからず、重き物をあぐべからず。是皆気をへらさずして、気ををしむなり。
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『養生訓』巻第八・養老一年老いては、わが心の楽の外、万端心に挟むべからず。時にしたがひ自楽むべし。自楽むは、世俗の楽に非ず、只心にもとよりある楽を楽み、胸中に一物一事のわづらひなく、天地、四時、山川の好景、草木の欣栄、是亦楽むべし。
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