夜船閑話 / 本文
徐々として歸り來て、時々に彼の內觀を潜修するに、纔に三年に充たざるに、從前の衆病、藥餌を用ひず、鍼灸を假らず、任運に除遣す。特り病を治するのみにあらず、從前手脚を挾むこと得ず、齒牙を下すこと得ざる底の難信難透、難解難入底の一着子、根に透り底に徹して、透得過して大歡喜を得るもの、大凡六七囘、其餘の小悟、怡悅踏舞を忘るゝもの數をしらず。妙喜の謂ゆる大悟十八度、小悟數を知らずと。初て知る、寔に我を欺かざることを。
新字:徐々として帰り来て、時々に彼の内観を潜修するに、纔に三年に充たざるに、従前の衆病、薬餌を用ひず、鍼灸を仮らず、任運に除遣す。特り病を治するのみにあらず、従前手脚を挟むこと得ず、歯牙を下すこと得ざる底の難信難透、難解難入底の一着子、根に透り底に徹して、透得過して大歓喜を得るもの、大凡六七囘、其余の小悟、怡悅踏舞を忘るゝもの数をしらず。妙喜の謂ゆる大悟十八度、小悟数を知らずと。初て知る、寔に我を欺かざることを。
書き下し
徐々として帰り来て、時々に彼の内観を潜修するに、纔に三年に充たざるに、従前の衆病、薬餌を用ひず、鍼灸を仮らず、任運に除遣す。特り病を治するのみにあらず、従前手脚を挟むこと得ず、歯牙を下すこと得ざる底の難信難透、難解難入底の一着子、根に透り底に徹して、透得過して大歓喜を得るもの、大凡六七囘、其余の小悟、怡悅踏舞を忘るゝもの数をしらず。妙喜の謂ゆる大悟十八度、小悟数を知らずと。初て知る、寔に我を欺かざることを。
現代語訳
ゆっくりと帰ってきて、ときどきあの内観をひそかに修めていると、わずか三年もたたないうちに、これまでの多くの病は、薬を用いず、鍼灸にも頼らず、自然と消え去った。ただ病が治っただけではない。これまで手も足も出ず、歯も立たなかった、信じがたく、通りがたく、解しがたく、入りがたい一つの公案が、根まで通り底まで徹して、すっかり抜け通って大いなる喜びを得ることが、およそ六、七回あり、そのほかの小さな悟りで喜びのあまり踊り出すことを忘れたことは数えきれない。大慧禅師が、大悟十八回、小悟は数知れず、と言ったのは、まことにわたしを欺くものではなかったと、初めて知った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『夜船閑話』序此において諸子歓喜作礼して密々に精修す。各々悉く不思議の奇功を見る。功の遅速は、進修の精麁に依るといへども、大半皆全快す。各々内観の奇功を讃美して休まず。師の曰く、儞が輩心病全快を得て以て足れりとすることなかれ。転々治せば転々参ぜよ。転々悟らば転々進め。
-
『夜船閑話』本文山野初め参学の日、誓つて勇猛の信心を憤発し不退の道情を激起し、精錬刻苦する者既に両三霜、乍ち一夜忽然として落節す。従前多少の疑惑根に和して氷融し、曠劫生死の業根底に徹して漚滅す。自ら謂らく、道人を去ること寔に遠からず。古人二三十年是何の捏怪ぞと、怡悅踏舞を忘るゝ者数月、向後日用を廻顧するに、動静の二境全く調和せず。去就の両辺総に脫洒ならず。
-
『夜船閑話』序馬年今歳古稀に越へたりといへども、半点の病患なく歯牙全く揺落せず、眼耳次第に分明にして、動もすれば靉靆を忘る。毎月両度の法施終に怠倦せず、請に佗方に応じて三百五百の海衆を聚会して、或は五旬七旬を経に録に雲水の所望に随て胡説乱道する者大凡五六十会に及ぶといへども、終に一日も罷講斎を鎖さず。身心健康気力は次第に二三十歳の時には遥かに勝されり。是皆彼の内観の奇功に依ることを覚ふ。
-
『夜船閑話』本文公若し心炎意火を収めて丹田及び足心の間におかば、胸膈自然に清涼にして一点の計較思想なく、一滴の識浪情波なけん。是真観清浄観なり。云ふことなかれ、しばらく禅観を抛下せんと。仏の言はく、心を足心にをさめて、能く百一の病を治すと。阿含に酥を用るの法あり、心の労疲を救ふこと尤妙なり。天台の摩訶止観に病因を論ずること甚だ尽せり。治法を説くことも亦甚だ精密なり。十二種の息あり、よく衆病を治す。臍輪を縁して豆子を見るの法あり。其大意、心火を降下して丹田及び足心に収るを以て至要とす。但病を治するのみにあらず、大に禅観を助く。
-
『夜船閑話』本文自ら謂らく猛く精彩を着け、重ねて一囘捨命し去んと、越いて牙関を咬定し双眼睛を瞠開し、寝食ともに廃せんとす。既にして未だ期月に亘らざるに心火逆上し肺金焦枯して双脚氷雪の底に浸すが如く、両耳渓声の間を行くが如し。肝胆常に怯弱にして、挙措恐怖多く、心神困倦し、寐寤種々の境界を見る。両腋常に汗を生じ、両眼常に涙を帯ぶ。此において遍く明師に投じ、広く名医を探るといへども、百薬寸功なし。
-
『夜船閑話』本文時に幽恬如として予が手を捉らへて、精く五内を窺ひ九候を察す。爪甲長きこと半寸、惨乎として顙を攅めてつげて云く、已哉、観理度に過ぎ、進修節を失して、終に此の重症を発す、実に医治し難きものは、公の禅病なり。若し鍼灸薬の三つの物を恃んで而して後に是を救はむと欲せば、扁倉力をつくし華陀顙を攅むるも奇功を見ること能はじ、公今既に観理の為めに破らる、勤めて内観の功を積まずんば、終に起つこと能はじ。是彼の起倒は必ず地に依るの謂なり。